日記のページ(2002年-1)です。

・12/13 「魔界転生」

昨日今日と 「魔界転生」の和田山へロケーションでした。 朝の5時出発ということで4時前には起きて準備をしなければなりません。 救いなのは、基本的にはロケーションの場合、会社(撮影所)で衣装を着てかつらをつけての出発となるんですが、 今回は朝がかなり早いために扮装の準備は現地に着いてからということになりました。
朝の5時、まだ真っ暗の中 会社を出発しました。現場につくまでの間 バスの中で熟睡です。 現場に7時ごろ到着。 この日は 現場近くの住人の方達も参加しての だい大衆です。 総勢250名ほどです。 扮装の準備をする公民館はすでに現地の方でにぎやかでした。 宿泊で前日入りをしている私達のメンバーが 地元のエキストラ参加者の衣装やメークを手伝っております。 そのなかで、今到着したメンバーも準備にかかりました。
公民館から撮影現場の「竹田城」まではロケバスのピストン輸送で移動です。 竹田城の駐車場には鎧から槍から小道具がずらりと並べてあります。 そこでまた、草鞋のはき方や鎧のつけ方などをみんなに教えながら自分も準備。 侍の中には「侍役」として女性も少なからず混じっております。
大方のエキストラの皆さんの準備ができたところで 徒歩で城跡へ。 これがまたかなり遠い。平坦な道での移動なら大して苦にもならないのですが、 この日は重い兜と鎧をつけてますので、とにかくしんどい。 城跡に着いた時にはもう既に「は〜、は〜」息を切らしてしまいました。
総勢200人ほどが城を攻めます。急な坂を城めがけて登っていきます。 城には「幕府軍」に対抗する「一揆軍」が 石などを投げて応戦してます。 撮影の前にとにかく、だい大衆の位置や動きなどを決めなければなりません。 「幕府軍」を8班に分けてそのリーダーが現場で代表して位置などを決めております。 その間、大方のメンバーは 位置などが決まるまで待ってなければなりません。 かなり長いこと待ちました。
待ってる間に、次に撮る予定のカットのリハーサルも同時に行ったりしました。 この日は思ったより暖かかったので、待つのもそんなに苦ではありませんでした。 とはいっても、最終的に250名(実際は当日キャンセルのエキストラさんがいたため もう少し少なかったそうです。) 全員がスタンバイをして このカット(2カット分)が終了したのは午後の3時ごろ。 こんなに長い「飯押し」は始めてかも。 でも、時間をかけただけのことはあって 物凄いカットになったと思います。 山の斜面を200名ほどが駆け上がります。上からは「一揆軍」の攻撃があります。 山の斜面の爆破もありました。(私は思いっきり、セメントの粉を吸い込んでしまいました。) 映画を見てるとあっと言う間に終わってしまうこの短いカット。早くスクリーンで見てみたいです。
昼飯休憩になったのは3時ごろです。しかし、もう既に日が沈もうとしております。 案の定 休憩時間は短く すぐに次のカットの撮影に入りました。 この辺りから急に冷えだし、雪もちらついてきました。 日が沈む前になんとか撮影を終えて 公民館で帰る準備をして4時半頃 公民館を後にしました。
会社に戻ってきて次の日(つまり今日)の予定を見ると 今日は昨日のシーンの残りの部分の撮影のメンバーに入ってました。今日も朝の5時出発です。 昨日はうちに帰ると今日に備えてすぐに寝ることにしました。
さぁ、今日です。昨日と同じく4時ごろおきましたが、とにかく寒い。昨日とは全然違います。 昨日と同じように会社に行き ロケバスに乗り込みます。出発。また、熟睡です。 ふと気が付くと、外の景色は雪景色。 現場に向かう途中(片道2時間以上)で 「公衆トイレ」があるところでちょっとトイレ休憩。 その時に制作部からバスの運転手に電話です。 なんと、今日のロケーションは雪のために中止になってしまいました。 会社を出発する前に中止になったり、 現場で雨や雪が上がるのを待って結局やまずに中止になるということは度々ありますが、 移動中に電話がかかってきて中止になるというのは これも初めての経験ではないでしょうか。 とにかく、バスはユーターン。8時過ぎに会社に戻ってきました。 「昨日よりは確実に寒いだろうな」とかなり気合いを入れて出発しただけに、 なんだか拍子抜けな感じで帰ってきました。 今日の分の撮影は恐らく来週でしょう。その時はまたメンバーに入っているかしら。(12/13/2002)

・12/08 「赤ひげ」

昨日、年末時代劇スペシャル「赤ひげ」の撮影のために 京都映画撮影所に行って来ました。
一昨日にうちの事務所から連絡があり、その日の夕方 台本をもらうために事務所へ。 ところが、事務所には台本はなく 私が出演しているシーンのみのコピーをもらいました。 そこで、そのコピーをもらい京都映画へ挨拶に行くことにしました。
制作の担当の方にまずは挨拶に行き、監督のところへ挨拶に行こうと思いましたが、 残念ながらその日の撮影は終了していて監督はもう撮影所にいらっしゃいませんでした。 そのあと衣裳部に撮影で着る衣装がどんな衣装かを聞きに行き、そしてメーキャップルームへも 挨拶に行きましたが、メークさんはもういらっしゃいませんでした。
撮影当日は 13時に入り かつら合わせをして 14時半撮影開始予定でした。 昼過ぎには撮影所に入いると、 制作の方から「撮影が少し巻いてる」ということを聞きましたので、 すぐに準備に入りました。結局14時に撮影開始。
セットへ行くと 助監督から「まずドライをやりますので。」とのこと。 セットに入るとまず監督のところへ挨拶に行きました。 そして、いきなり「ドライ(撮影する前に軽くリハーサルを行い そのシーンの芝居や演技者の動きカット割りなどを確認する)」。 監督や助監督から動きや段取りなどが一切なく、監督の「よーい、スタート!」の声。 東映との撮影方式の違いから少し戸惑いながらも、 自分の間(ま)で自分の思うように動いて 自分が思う間(ま)でセリフをしゃべりました。 監督の「カット!」の声。 どんな指示が来るかなと思っていたら、 自分の動き出しのきっかけのみの指示がきて セリフや動きはよかったようでした。
「ドライ」が終わって、カメラや舞台のセッティングをする間 一度セットの外へ出ます。 セットに入っていきなり「ドライ」だったために、 相手役の小林薫さんに挨拶できませんでしたので、 この待ち時間に 「よろしくお願い致します。」とご挨拶を。 そして、地震による焼け跡でのシーンのため 私もメークさんに顔・手・足にどうらんを塗って汚してもらい、 衣裳さんに衣装も汚してもらいました。 この日は「赤ひげ」のクランクアップの日だったようで、たくさんの関係者の方がいらしてました。
セッティングが整い、本番前に数回のリハーサル。カメラは2台で 1台は焼け跡の全景を写すもの、 もう1台が小林さんのアップ用のカメラでした。 きっかけ変更などの細かい指示があって、その後の本番はあっという間に終わってしまいました。
本番の後の「チェック(収録した画面をチェックする)」の時 モニター画面が近くにありましたので、 私もその映像を見てました。悲しい雰囲気漂ういい写真(映像)になってました。
チェックも済んだ後 スタッフの「小林さん、オールアップです。」という声。 みんなが「お疲れ様でした〜。」と拍手です。 私の出番も終わりましたので、監督と小林さんに挨拶をして現場を去りました。
このシーンの撮影の後、 同じ現場で宮沢りえさんのシーンを撮影したら、「赤ひげ」、 クランクアップだったそうです。
帰り支度を済ませ もう一度製作担当の方に挨拶をして京都映画撮影所を出ました。 ちなみに、私がどのくらい写っているかというと 上にも書きましたように かなり「ロング」での撮影ですので、 顔の確認はできないと思います。でも、声は聞こえてくるかも。「はさみ」が入らなければ・・・。 ということで、年末の「赤ひげ」、よろしくお願い致します。(12/08/2002)

・09/16 「帰省」

9月12日から15日まで実家の熊本に帰ってきました。そこで、楽しかった事がひとつ。 なんと、父親と喧嘩したのです。
生まれて初めての父親との喧嘩だと思います。 父が怒った顔を見たことは 恐らく私が小学生以来の事で その当時は私が悪いことをしたのでしょう 一方的に怒られていましたが、 今回は私もしっかり言い返して、「怒られた」のではなくて まさしく「喧嘩」でした。
小さい頃から父とは会話も少なく育ってきましたので、今回の喧嘩は お互いが自分の感情を出して そして言いたいことを言って、 嬉しかったのです。父親の言葉にむかつきながら 怒りながら言い返して 一方で私はその喧嘩を楽しんでおりました。父親を怒らせたことは悪いとも思いますが、 父親とこんな経験が持てた事が嬉しかったのです。
30分ほどの喧嘩のあと、私は黙々と朝食を食べました。食べ終わるとしばらくして 「おい、金峰山に登っぞ!」との父の穏やかな声。
前日にその日は「金峰山」という山に一緒に登ることになっておりましたが、 喧嘩の最中に「今日の金峰山は中止!」と父が叫んでいたのでした。 「なんな?登っとかいな?」との私の穏やかな返事。なんだか変な感じでした。
結局、その日は何事もなかったように「山登り」。 次の日は実家から「熊本駅」まで父親の用事に付き合って歩き、 最終日は 朝から熊本の祭り「神幸行列」を見に歩いて行きました。 京都では移動の時に自転車を使っている私は 久しぶりに長距離を歩き、お疲れ気味。 それ以外は、どこへ行くでもなく実家で寝転がってゆっくりしてました。 最終的には楽しい帰省になったと思います。(09/16/2002)

・08/30 「盆踊り」

嵐山で「夏祭り」というのをやっていたので、行ってきた。 「盆踊り」もあるとのこと。 私は今まで「盆踊り」を見た事もないし、参加したこともありませんでした。
今日嵐山に行くまでは、正直 「日本人は人前で歌うことも踊ることも恥ずかしがるので、 参加する人は少なく踊りを見ている人ばかりだろう」と思っておりました。 ところが、実際行ってみると、盆踊りが始まった頃は さすがにまだ踊っている方は少なかったのですが、 次第に輪が広がっていき しばらくするとすごい人数の方が踊っておられました。
年配の方や子ども連れのお母さんが子ども達と一緒に踊るのは想像に難しくなかったのですが、 驚いたことに10代・20代の人たちまで 極自然に踊りに参加されてました。 のりに乗って踊られる方もいらっしゃれば、会社帰りなのでしょうかバッグを肩にかけたまま 顔は無表情なのに輪の中に入り身体を動かしている方、いろんな方がいらっしゃいました。
考えてみれば、かなり以前の日本人は人前で歌も歌えば踊りも踊ってたんですよね。 日本人も ずっと以前より基本的には歌も踊りも好きなんですよね。きっと。
人前では回りを気にして何もできなくなる日本人はいつから増えてきたのでしょう。 (かくいう私も、仕事以外では、恥ずかしながら人前では歌を歌うことも踊ることも苦手です。)
このような「盆踊り」がいまだ存在すること、 そしてその踊りに自然と参加して踊られる方たちがいらっしゃる事が 新しい発見で驚きとともに嬉しいことでもありました。 私も小さい頃からこのような「盆踊り大会」などに接して来ていたら 参加して踊っていたら もっと違う自分になっていたのではないかとそう感じました。
このような地域のふれあい「盆踊り」のようなイベントはいつまでも存在して欲しい そう思いました。 (08/30/2002)

・07/24 「水戸黄門」

今日は「水戸黄門」のロケで亀岡へ。最高気温は36度を超えたそうです。 午前中は畑で農作業。近くに小川が流れておりましたが、臭いこと、臭いこと。 田舎の香水の臭いではなく 汚染された下水のにおいです。日陰もそんなになく、 暑さと湿気とこの臭いでたまりませんでした。
昼過ぎから陽射しがますます強くなります。 土手の上を歩いているだけですが、さすがに意識がもうろうとしてきます。 よく誰も倒れなかったものです。 まだまだ、夏も始まったばかり。これからのロケが思いやられます。
午後4時ごろ撮影終了。帰所後はセット撮影。 セットに入ると まずは歌と踊りの練習でした。 歌がさっぱりわからない上、踊りもさっぱりわからない。撮影では歌いながら踊るとのこと。 歌の先生と踊りの先生が 何度も何度も教えてくれますが、コンビネーションがなかなか出来ません。 私には かなり難しかった。何とも、情けない。(^_^;)
それにしても、里見さんの黄門様は かなり格好いいんじゃないでしょうか。 今までにない感じで 迫力もあり堂々として とても雰囲気があります。 どうぞ、皆さん、期待してください。

・03/03 「びんた(おみやさん)」

今日は、新番組「おみやさん」のロケーション。あるビルを借りて撮影でした。
私は「警官」で 警察署の中のエレベータに乗っております。ぎゅうぎゅう詰めです。 その中に、「七尾洋子(櫻井淳子さん)」と 「海原はるかさん(役名忘れました。)」も乗ってらっしゃいます。 「海原はるかさん」といえば、「”ふっ”リーダイアル、・・・」のコマーシャルのなかで 首を振って髪の毛を元に戻す芸で有名な方です。
「海原さん」がエレベータの中でどうやら七尾洋子に痴漢している様子。 後に、七尾洋子が「海原さん」に「びんた」するんです。 でも、何度か撮影しましたが、「これ」という絵にならなかったんです。 髪の毛の位置が面白くなかったり、びんたする手の位置がずれていたりで、なかなか「OKカット」が出ません。 そこで、最終手段。「櫻井さん」が本当に「海原さん」を殴ることになりました。
そして、本番。そのびんたの音がビルに響き渡りました。 「海原さん」の髪の毛の位置、表情、その他もろもろ、すべてOK。 監督の「カット!」の声が聞こえた時、爆笑の渦と化しました。 ほんと、面白かった。新番組「おみやさん」、期待します。
なお、このシーンは「おみやさん」の第1話のだと思います。ご覧あれ。

・02/09 「石原プロ」

2月8・9日は東京で「松竹梅」のコマーシャル撮りでした。 8日の朝7時過ぎの新幹線で、東京へ。その後すぐに、電車を乗り継いで調布駅まで移動。 駅につくと、マイクロバスが出迎えてくれました。 車体の横には「石原プロダクション」の文字。 CMの撮影と言うのに「石原プロ」がバスを出していることに まずびっくり。 「日活撮影所」に到着後、すぐに準備をはじめました。
セットへ行くと セットの前には何台もの「石原プロ」の自動車・トラックが止めてあり たくさんのコンロとか鍋とかいろんなものが並べてあって 魚を焼いたり 雑煮を作ったりされておりました。 セットの中に入ると またびっくり。監督はなんと「舛田利雄監督」。 久しぶりです。「舛田監督」がCMを撮影されてたなんて びっくりです。
最初のカットは、 信長(渡哲也さん)と一緒に家臣たちがバーベキューをしております。 その巨大な網の上に乗っている魚や鳥や伊勢海老などすべて 普段スーパーで見かけるものよりかなり大きい 本物です。伊勢海老などまだ動いている状態です。撮影のためにそろえられたこの大量の素材にびっくり。 このカットが終わると、魚などが焼けたあとのカット。あみの上の素材がすべて すでに焼いてある素材に 置き換えられます。そして、用済みとなった生の魚や海老たちは スタッフ(おそらく石原プロ)が 「持って帰れ」「持って帰れ」と 配っていらっしゃる様子。 焼きたての海老や生の大鯛などを 惜しげもなく配っておられました。
撮影が順調に進みます。 撮影の合間に (やはり、石原プロの方でしょう) 「おはぎ」「ぜんざい」「雑煮」などを 持ってきてくれました。今までに経験したことのない現場です。
撮影が終わって宿泊所に行く時には また石原プロのマイクロバスです。このバスには 何ケースもの「焼酎」と「ビール」「ウイスキー」が乗せてありました。 これらの酒は全部 宿泊所で飲んだり あまったら京都へもって帰れとのこと。すごすぎます。

次の日も また同じセットでの撮影。撮影は順調に進み 昼食事休憩。撮影ももう少しで終わります。 数千円はするだろうというお弁当がでました。 その上またまた、石原プロの方(専務だそうです。)が いろいろ配っておられます。 「おでん」「雑煮」「鴨のおかず」それに「焼酎」
私たちが食べているテーブルへやってきて「芋焼酎と米焼酎とどっちがいい?」とのこと。 私は以前に焼酎を飲んですぐに寝てしまう経験をしてから以来、 一度も焼酎を飲んでおりません。「いりません。」とも言えず、「米のほうをください。」と言いました。 私のテーブルには6人が座っておりましたが、 結局 専務が持っていたカップ8個分の焼酎を私のテーブルに置いていてくださいました。
私も含めて酒に強いメンバーがいなかったため 私は撮影が終わってもいないのに2杯の焼酎を頂きました。 もう完全に酔っ払いの出来上がりです。顔は真っ赤になり、かろうじて意識はあるものの ふらふら歩いておりました。 「おでん」や「雑煮」も 食べても食べてもなくなるはずなどない というほどの分量です。 万が一にでも 「もうちょっと食べたかったな」と言う人が出てはいけないという配慮なのでしょう。 なくなるはずもないという分量を 私たちに薦めてくれます。 すでに、ほとんどの人が満腹状態です。
その後、撮影は無事終了。 着替えて 京都へ帰ることになります。調布駅までは またもや石原プロのマイクロバス。 バスの中で飲みきれなかった「焼酎」「ビール」「ウイスキー」をみんなで分けます。 私も焼酎1本とビールを1缶頂きました。

石原プロの噂はかねがね聞いてはおりましたが、さすがにここまでとは・・・。 さすが石原プロ、スケールが違います。

肝心のCMの内容は 「春の宴編」「秋の宴編」と2種類を撮影。 どちらも 信長(渡さん)と家臣たちが 酒を飲んでいて 信長が「普通の辛口は要らん。『米米辛口』をもってこい。」と言うものです。 是非ともご覧ください。
え、私は何をしているかって?それは、見てのお楽しみ。(02/12/2002)

・01/13 「大木ひびき・こだまさん」

今日は、映画村でチャン教でした。 そのチャン教の間に「一陽斎蝶一さん」のマジックと 「大木ひびき・こだまさん」の万才がありました。
「一陽斎蝶一さん」のマジックが終わって、つづいて「大木ひびき・こだまさん」の出番です。 お二人がしゃべり始めましたが、声が聞こえにくい。マイクが入ってないのです。 もちろん、スタッフもそのことに気付いているとは思いますが、何の動きもないのです。 おそらく、ステージ上のマイクのスイッチが入っていないのでしょう。
すでに、万才は始まっていますし、 「ちょっとごめんなさい。」とスタッフもマイクのところへ行けないのでしょう。 お二人の声は聞こえておりますが、 観客もマイクが入ってないことが気になるのでしょうか、笑いが少ないです。
10分ほど経って、お二人がやっと「マイク入ってないんじゃない?」と ついに声にされました。 そこでやっと、スタッフがマイクのところへ行って スイッチを入れました。 案の定、声がはっきり聞こえてきました。マイクが入ってからは、中村座の中は笑いの渦です。
マイクが入るまでは、自分が笑うと笑い声が周りに聞こえるので お客さんは声を抑えて笑っていたり、 頭の何処かに「あのマイクどうしたんだろう?」ということが引っかかっていたりして 笑いが少なかったんでしょう。
このことを通じて、改めて感じたことがひとつ。いくらベテランの漫才師がおしゃべりをしていても、 音響や照明などの周りの環境がちゃんとしていないと 必然的に笑いは小さくなるということですね。 音響や照明の影響は ショーに対してかなり大きいということです。 改めてスタッフに感謝するとともに、スタッフが最高の環境を作ってくれることを期待します。 (01/13/2002)