日記のページ(2005年-1)です。

・12/23 「バルトの楽園(がくえん) その3」

12月14日、朝7時にロケバスに乗って再び 徳島のオープンセットに向かいます。 この日は、翌日から撮影予定のベートーベン「第九」のシーンのための 合奏団と合唱の練習です。
映画の中で実際に使用する音楽は既に録音済(この撮影方法を、プレスコと言います。)なのですが、 その録音済の音楽と実際の演奏がぴったりと合うようにと 練習をするのです。 つまり この日の私の仕事は 「日本語指導」ではないのですが、 この練習に立ち会えるスタッフの中には英語をしゃべる人が少ないとのことで、 指揮者からの「第3楽章を合わせます。」などの指示を、 録音済の音楽を会場に流してくれるスタッフに通訳してくれと急遽頼まれました。

クラッシック音楽を レコードや CDで聞くことはあっても、 生で聞くことは今まで一度もなかったので、実際に生の演奏を聞くことができてとても感動しました。 しかも、その音楽を聞く位置が指揮者のすぐ後ろですので、演奏者との距離も 2・3メートル。 その演奏の迫力には 驚かされるばかりでした。 この演奏者の人達は プロの方たちばかりではなかったのですが、 みなさん普段から楽器を演奏されている方達ばかりのようで、 録音済の音楽なしの練習の時でも とても素晴らしい演奏でした。

私は高校・大学とサークルで合唱団に所属していましたが、その時の練習というものは 指揮者から私たちに指示が来る、つまり 一対多のほとんど一方通行のような練習でしたが、 個人個人に力量がある方たちが集まると、 演奏者それぞれが 指揮者を見て演奏すると同時に 他の楽器の演奏を確認し、 演奏者の方から 指揮者や他の楽器の演奏者に 曲作りの方向性やタイミングなどの確認をしたりするんですね。 つまり 多対多の双方向の練習になるんですね。
これを 私たちが撮影現場で行っている作業(例えば 監督や他の役者さんとの打ち合わせなど) と比べてみると とても当り前の事なのですが、 それができていなかった学生時代の合唱の練習を思い返すと 新しい発見がありました。

12月15日、さぁ、いよいよ、クライマックスの撮影です。 初日のこの日は 演奏シーンの撮影です。ということで、観客の役の人達はまだほとんどいません。 「第九」全体の中から 6箇所の部分が抜粋されて 映画には使用されます。 徳島のオープンセットの特設会場の舞台に 演奏者・合唱団がスタンバイします。 カメラは全部で 4台。いろんな角度から 演奏者を狙っています。
6箇所の演奏部分を ひとつひとつ演奏しながら撮影していきます。
この日は とても雲の流れが早く、晴れたり曇ったりの変化が激しいのです。 一端演奏が始まると その部分の演奏だけで数分間、 その間 天気の変化がない時を狙って撮影しなければなりません。 そのための 待ち時間もかなり長く、NG も許されないような状況の中での撮影が続きました。

なんとか、その 6箇所の部分の撮影が終わると今度は、 4台のカメラの位置を替えて またその 6箇所の部分の撮影です。 そういうことが何度か繰り返されて 日没までに何とか演奏の部分の撮影は 無事終了しました。

12月16日、ガンツさん登場です。以前お会いした時と同じく 優しい目でした。 ガンツさんの日本語はもうほとんどパーフェクトで、 ガンツさんが日本語をしゃべるカットの撮影時は ずっと彼のそばにいて耳を傾けていたものの、 その日本語に対して監督からも何一つも指示が無く、私も彼にアドバイスすることはありませんでした。
その流暢な そして じーんと胸に来るセリフを みなさんもどうぞ、是非とも映画館でお聞きくださいませ。 そして、所長役の松平健さんとの友情を確かめ合うの感動のカットも どうぞお見逃しなく・・。

この日からの撮影は 演奏者・合唱団・観客を含めて総勢300人以上の出演での撮影でした。

12月17日、この日は 天気予報では降水確率 0パーセントなのに、なぜかしら朝から雨。 午前中いっぱい、待機でした。300人以上のだい大衆が セットの建物の中などで雨が上がるのを待ちます。 午後からなんとか 雨も上がりましたが、地面はべちゃべちゃで 大変な撮影でした。

12月18日、この日は朝から「雪」。 雪自体は早々に上がったものの、地面や屋根の上には雪がどっさり積もっています。 午前中はその雪の撤去作業を同時に進めながらの撮影でした。

次のカットの準備などでの撮影の合間、オープンセットのあちらこちらでは、 日本の出演者が ドイツの人を含め 外国の出演者達と楽しく会話を楽しんでいました。 特に 日本の子供達が 言葉も通じないのに、外国の出演者に何かを教えてもらっていたり、 一緒に遊んでいる姿を見ると本当にほほえましく、 「当時の徳島では実際に こんな風景が普通にあったんだろうなぁ。」と ひとり感慨に耽っておりました。

その中で 私が親しくなったのは ドイツのハンスさん。 普段はテレビやバーなどで ジャズの演奏とかをされているそうです。 ずっと話し込む程の時間こそありませんでしたが、一緒にお話をしていて楽しかったです。

天候などの理由で撮影自体もかなり押し、予備日となっていた19日もこのシーンの撮影となりましたが、 私はこの日の撮影終了後に 京都に帰ることになりました。

この後 私がこの作品に携わっていることは、 1月になってからの 自分が会津藩士として出演しているシーンの撮影と、 劇中で日本語をしゃべるドイツ兵のカルルの 日本語指導とその本番のみです。 さぁ、がんばって参りましょ〜〜! (12/23/2005)

訂正:先日 自分の出演シーンの撮影がありました。 私の役柄は「会津藩士」ということでしたが、「官軍指揮官」にかわりました。 (01/12/2006)

・12/11 「バルトの楽園(がくえん) その2」

12月10日、ついに、2005年(今年)公開された映画 「ヒトラー 最期の12日間」の中で ヒトラーの役を演じられたドイツの名俳優 ブルーノ・ガンツさんと撮影所でお会いした。 演技事務のスタッフに連れられて ガンツさんのところへ向かったのだが、 ある部屋の前に着いた時に 部屋の中に一際存在感を放つ一人の男性に気がついた。 その男性が一緒に会話をしている人達の その男性への接し方からしてみても、 その男性がブルーノ・ガンツさんに間違いなかった。
ガンツさんが 部屋の外に出てこられた。 外へ出てもまだスタッフと打ち合わせらしき会話をされている。 なかなか、「初めまして。」と挨拶もできない。
会話が一段落ついたのか、やっと一人のスタッフが 切り出してくれた。
「Nice to meet you. I'm Kawatsuru Akihiro. I'm an instructor of Japanese language in this movie.」
優しい目で 挨拶を返してくれた。この人が あのヒトラーを演じた人なのか・・。
私が前日にパソコンで作成した印刷物をガンツさんに手渡し、 その印刷物が「ガンツさんがしゃべる日本語の各単語の日本語訳」だと説明を始めると、 ミニ日本語レッスンの時間になり、 「ちょっとセリフをしゃべってくれ。」と言われて 私がそのセリフをしゃべると、 ガンツさんもそのセリフを口にされます。 そのセリフの流暢さから、ガンツさんがいかにドイツで練習をして来られたのかよくわかります。 私はドイツ語がわからないので、 そのセリフの言い方に関してのいくつかの質問を 日本語もこなすドイツのスタッフに聞いていました。
「Can I give you these papers? I hope they can help you.」「Of course! Thank you!」
私が作成した印刷物を持って大きな車に乗り込み、撮影所を去っていかれました。
ガンツさんの日本語はかなりもので、 しかも ガンツさんの回りには 日本語もこなすドイツのスタッフもいますので、 徳島での本番の際は 私の出番はそうないかもしれませんが、 こうして ガンツさんとお話できたことをとても嬉しく思いました。 とても、優しい瞳を持つ ジェントルマンでした。

12月11日、私は侍の姿で 今日撮影を行っている第11セットに参上しました。 というのは、数日前、ヘルマン役のコスティアさんと日本語のレッスンをしている時のこと、 私が「私が侍で、コスティアさんが軍服の姿で写真撮れると面白いね。」と話すと、 「11日に セットで撮影しているから来ない?」との事。 ということで、今日、私も時間がとれたので ちょんまげ姿で 彼らの前に参上することにしました。 しっかりと彼らと記念写真も撮って参りました。
一緒に写真を撮ってくれたオリバーさん、コスティアさん、セバスチャンさん、 ありがとう。 この作品で日本での撮影も後わずかになりましたが、がんばっておもしろい作品を作りましょうね。 (12/11/2005)

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オリバーさん、コスティアさん、セバスチャンさんと。

・11/29 「バルトの楽園(がくえん) その1」

今、東映京都撮影所では「バルトの楽園(がくえん)」という劇場用映画を撮影しています。
第一次世界大戦時、徳島の板東にあった収容所に送られた 日本の捕虜となったドイツ人兵士達の物語です。 松江豊寿所長の下で そのドイツ兵士達と地域の住民達が仲良くふれ合い生活し、 終戦後にドイツ兵達が祖国に帰る際に そのドイツ兵達によって地域の住民のために ベートーベンの「第九」が演奏されたという事実に基づいたドラマです。
そのドラマの中で ヘルマン・ラーケというドイツ兵が日本語でナレーションをしゃべります。 彼の他にも 数人のドイツ兵が劇中で日本語をしゃべります。 そこで私は、彼らとのコミュニケーションに英語が使えるということで、 彼らの日本語の指導という大事な仕事を頂きました。

10月の始めに、映画の中で日本語をしゃべることになるドイツの役者さんが練習できるようにと、 私がその日本語のセリフをカセットテープに録音しました。 そして、10月20日に クランクイン。約 3ヶ月にもなる長い撮影がスタートしました。
今現在は ドラマの舞台である徳島の板東に建てられたオープンセットで撮影が続いております。 私も11月半ばに その現場に一泊の宿泊ロケで行ってきましたが、 そこには 本格的で 本当に大きな 立派なオープンセットが作られていました。 そして、その土地のあちらこちらに「バルトの楽園を 応援しよう!」との旗が立っていました。 地域の方たちがたくさん 撮影を見学に来られていて、 役者やスタッフ用のプレハブが立っているところには、 いつも地域のボランティアの方がいらして いろいろと面倒を見てくれています。

12月に入ると、松江所長役の松平健さんに、 非常に存在感があるというドイツの有名な俳優 ブルーノ・ガンツさんも 撮影に加わります。 ガンツさんも ドラマのクライマックスとても重要なシーンで 日本語をしゃべることになっていますので、 私もまた数日後には 徳島に呼ばれて ガンツさんとお会いすることになるでしょう。いや〜〜、緊張します。
この「バルトの楽園」が 素晴らしい作品になることは間違いないでしょう。 是非、みなさん、この映画 御覧になってくださいませ。

あ、ちなみに、私は、出演者としては、 会津藩藩士として出演することになっています。 撮影は来年 年が明けてすぐの予定です。(11/29/2005)