日記のページ(2008年-1)です。

・08/29 「本番直前に (新京都迷宮案内 SP)」

今日は「新京都迷宮案内 SP」の撮影。まずは本日のシーンを簡単に説明しましょう。 (私を含めた)京都日報社会部のメンバーが集っている所へ杉浦さんがやってきて「どうした?」と尋ねる. 私が「府警本部のおえらいさん達が(会議室に)来てるんですよ。」と答える短かいシーンでした。

数回目のリハーサルの時に杉浦さんの「どうした?」のセリフのきっかけが替わりました。 私達に近付く前、数メートルの所で「どうした?」と声を掛ける事になりました。 つまり、そのセリフの後、杉浦さんが私達の近付いてくるまでの時間ができたんです。 私は「その間(ま)を埋めなきゃならんだろう」と思い、 次のリハーサルでは、杉浦さんがまだ近付いて来ている最中にセリフを始めました。 すると、橋爪さんは 「まだしゃべらないで!」という意味で私のセリフを手で制されたので私はセリフを止め、 杉浦さんが近付いてから改めてしゃべり始めました。 そのリハーサルのカットが掛かった後、監督からも橋爪さんからも何も修正点がありませんでした。 さ、いよいよ本番です。

遠くから「どうした?」と声を掛けられたのに杉浦さんが近付いて来るまで何もしゃべらないのは気持が悪いと思い、 本番では「どうした?」と声を掛けられた後に「あ、杉浦さん。」とアドリブを入れようかなと考えていた時でした。 橋爪さんがスタンバイの位置から大きな声で 「近付いてから改めて『どうした?』と聞くから・・。」と伝えてくれた。 「はい、分かりました!」と私。そして、すぐに本番スタート。

橋爪さんは最初の「どうした?」と声を掛ける替わりに「あれ!?」と声を発しました。 なるほど、これなら杉浦さんが近付いて来るまでの間(ま)も気持悪くない。 「ありがとうございます。」と心で思っている内に杉浦さんが近付いて来て「どうした?」「府警本部の・・。」 本番終了です。

嬉しかった事は橋爪さんの「近付いてから改めて『どうした?』と聞くから・・。」という一言でした。 いきなり声を出しても必ず私が耳を傾むけると思われたので、 その一言の前に「ちょっと!」などの私への呼び掛けがなかったのかも知れません。 それに、私をある意味信用してくれたからあの一言の後に「だから、その後にセリフを始めてくれ。わかった?」などの 馬鹿丁寧な言葉が続かなかったのでしょう。 私をある程度信用してくれているような本当に嬉しい一言でした。

私も後輩などと仕事をしていて、 「十しゃべっても十伝わらずに、二十も三十も説明して、 それでも分かってくれたかどうだか分からない状況」などがよくありますが、 「一しゃべると十理解してくれる人」と仕事をしていると、 本当に楽ですし、気持にも余裕ができますし、なによりもその現場が楽しくなります。

橋爪さんがこの私をどの位信用してくれているかは分かりませんが、 今日の事で「私を少しでも信用してくれているのかな」などと自分勝手ながらに思うと本当に嬉しい事です。 (08/30/2008)

・02/24 「打ち上げ (新京都迷宮案内 5)」

先日、「新京都迷宮案内 5」の撮影がアップした。

1999年に「京都迷宮案内」がスタートされた時に、 第1・2話と黒沢監督から新聞記者の役をいただいた。 それから約10年が経って今回のシリーズが「新京都迷宮案内 5」である。 今回のシリーズでは、「京都日報の社会部」の一員としてレギュラーの役をいただいた。 この10年、いろいろあったなと思う。

特に覚えているのは、私が「森林研究所」の所員の役で橋爪さんと二人でお芝居をさせてもらった時の事、 それから、金沢にロケに行き私が新聞会社の新聞記者の役で国生さんと、これまた二人でお芝居をさせてもらった時の事だ。 どちらも今でもその時の事は鮮明に覚えている。とても楽しい撮影でした。

この事は、撮影最終日、撮影終了後に行なわれた打ち上げの時にも言わせていただき、 お二人とそしてお世話になった監督方々にも壇上からですがお礼を言わせていただいた。 こんなに楽しい打ち上げなんてあるのかなと思うほど楽しい打ち上げでした。 今回のシリーズの撮影中に起きたNG集なんてほんと涙が出るほど笑ったものでした。

迷宮案内の現場は、本当に他の現場には、なかなかないほど楽しい撮影現場でした。笑いの絶えない現場でした。 これもすべて橋爪さんを始めとするキャストのみなさんが作り出す雰囲気のおかげだったのでしょう。 橋爪さん、野際さん、北村さん、国生さん、小木さん、西田さん、 いつも社会部の私達に声をかけてくれて、そしていろいろと気遣ってくれてありがとうございました。 すべてのキャストのみなさん、すべてのスタッフのみなさん、お疲れさまでした。 (02/24/2008)