日記のページ(2010年)です。

・12/08「袈裟切り(忠臣蔵)」

先日、「忠臣蔵 〜その男、大石内蔵助〜」の撮影が終りました。 今回の私は、江戸の街では米屋を営みながら吉良邸を探る「前原伊助」の役です。 出番は、そう多くはありませんが、討ち入りのシーンでは結構走り回っておりました。 その中のワンカットの事です。 長いワンカットの中で、浪士の主要メンバーが順番に入れ替わり次々と戦う姿を見せていきます。 そのカットの中の最後に映っているのが私でした。 周りには大勢の人が立ち回りをしています。本当に狭い所での立ち回りです。 そんな中で、私は吉良の家臣の刀を跳ね上げ、袈裟切りにします。 敵方の体と私の体との距離はわずか20センチ。この距離で刀を振り降ろさなければならないのです。

怖かった・・・。

以前なら普通にできた事ですが、ここ長い間、撮影で殺陣のシーンに出る事自体がなかったので、 自分が怪我をする事もそうですが、戦っている相手に実際に刀を当ててしまって怪我をさせてしまう事が 本当に怖くなっていました。 結局は、うまくいきましたが、さてどんな感じで映っているのでしょう。 放送は年末です。ご期待下さい。(Dec 08,2010)

・10/15「ガソリンを被って(狩矢警部シリーズ)」

先日、大阪南港の近くまで、狩矢警部シリーズの撮影で行って来ました。 造船所のような所で、敷地内に入ると目の前のドックような所に 高さが10メートル程もある大きなアヒルが浮んでいました。 感動です。カメラを持っていたらすぐにでも写したのに、残念です・・。

現場に着くと、まだ前のシーンの撮影中でした。小雨が降ったり止んだりで、ちょっと時間が掛っているような感じでした。 撮影準備の為少し時間が空いたようで監督とカメラマンが次のシーン(私が出ているシーン)の打合せを始めたようです。 私もその近くまで行き監督に挨拶をしてその打合せを聞いていました。 私が妻と子供を道連れに焼身自殺をするシーンです。

監督とカメラマンでだいたいの動きや位置が決めると、 監督が私に「この場所で、何かをブツブツ言いながら、自分と妻と子供にガソリンを掛けたいんだよね。何かないかな・・」と相談を。
「監督のイメージは、死ぬ前で気がおかしくなっている方ですか、それとも、感情がなくなって呆然としている方ですか?」
「呆然としている方だな。撮影の時までに考えておいて・・」
「分かりました」
てな事で、私は一旦、撮影現場の近くに用意してもらっている控室に戻り、一人でブツブツブツブツ・・。

前のシーンの撮影が終り、監督が控室に戻って来られた時に、今度は私から相談。
「監督、歌を歌いながらガソリンを被るというのは、どうでしょう? 例えば、『あ〜きのゆ〜う〜ひ〜に〜、て〜る〜や〜ま〜もみじ〜〜』とか。 それとも、子供の名前をひたすら呼びながらガソリンを掛けるとか・・」
「子供の名前を繰り返し呼びながらの方がいいかな」
「分かりました。では、そっちの方で考えてみます」

さ、しばしの休憩があった後、いよいよそのシーンの撮影です。相変らず小雨が降ったり止んだり・・。 結局、シーンの最初に「あかんねん。もうあかんねん」というセリフを追加して、その後は子供の名前を連呼する事にしました。 撮影の準備が整い、小雨の中、リハーサルも二三回終わっていよいよ本番に行こうかと言う頃に雨が強くなって来ました。 いつ上がるのか分からず、しかしその雨の中では撮影ができないので、 照明部さんが私達演技者の上に雨が降って来ないように照明器具で屋根を作ってくれました。 結構強い雨の中、照明部さんが動き回って作ってくれました。 屋根が出来るまでの間、他のスタッフさんが私達の上に傘を差してくれて、私達の近くにはガンガンに入った火を持って来てくれました。

雨は依然と強いのですが、仕方ありません。雨が映らないようにと照明を位置を確認して、いよいよ本番です。 NGになると、ガソリンを被った服を今一度乾かしてのリテイクになりますので失敗は許されません。 小道具さんがポリタンクに入ったガソリンを持って来てくれると、中には湯気が出ない程に温めたお湯が・・。 小道具さん、ありがとうございます。

無事、撮影は終了です。監督のカットの声と共に、この作品の全ての撮影が終わりました。 またしても、クランクアップとなるカットに出演させていただきました。

妻の役の女優さん、子供の役の子役さん、ガソリンをいっぱい掛けちゃってごめんなさいね。

皮肉なもので、撮影が終了してから 5分後には、なんと雨が上がってしまいました。こんな事も良くあるものです。

翌日になり、この日の撮影の事を考えていると、「このセリフの方が、もっと切ないぞ」と言うセリフを思い付いたのですが 撮影は終了しています。次にまた、このようなシーンの撮影があった時には、この案を監督に相談してみます。

最後に、この私が撮影したシーンは回想シーンですので、音声がどの位使われているのかは分かりません。 (Oct 15,2010)

・07/26「足、踏まれたぁ(プリンセス・トヨトミ)」

先日、合戦シーンの撮影で彦根城へ行って来ました。 梅雨明けして、天気予報では気温が35度程度になると言う程に本当に暑い日でした。

その日最初の撮影カットは、徳川軍が大阪城へ攻め込むカットです。 カメラの方から大勢の徳川軍が城門へ押し寄せます。豊臣軍が応戦して、百名近くが入り乱れての合戦です。

二度目の本番の時です。私が戦っていると、誰かが私の右足を踏んでいるではないですか。 戦っている最中で、誰が踏んでいるのか確認できません。私は全く足を動かせません。 右足が自由になるまで、どのくらいの時間が経ったでしょうか。 やっと右足が自由になったと思った時に監督の「カット!」の声。

誰が踏んでいたのかなと振り返ると、何とそこにはお馬さんが・・。 「・・・、馬?」

軍勢の中に馬がいる事は知っていたのですが、リハーサルの時は私の周りには近づいて来なかったので全く意識していませんでした。 完全に油断していました。

カットの直後はそれ程の痛みはなかったのですが、「骨に異常があったら怖い」と足を引き摺りながら現場の脇へ。 先輩やスタッフが心配をしてくれて、「指は動かせるか?」と声を掛けてくれます。 指は動かせましたが、以前に知り合いの経験として 「事故の時はちょっと痛みがあったけどほっといて、翌日医者へ行ったら骨にヒビが入っていた」 という話を聞いた事があったので、腫れも痛みもそれ程はなかったのですが心配でした。

気温 35度という暑い中、皆が甲冑を着て走り回っていますので私も撮影に復帰しようかなと思っていましたが、 スタッフが稔の為に医者へ行きましょうと言ってくれました。

足に負担をかけないようにと足を引き摺りながら、スタッフの車に乗り込み病院へ。 撮影中に事故に会った事も病院へ行った事も初めての事です。

病院でのレントゲンの結果、見える限りでは骨には異常がないとの事でしたので再び彦根城へ戻り、撮影に復帰しました。

夕方、太陽が沈む前に、足は腫れも痛みも少し大きくなりましたが撮影は終了しました。

それにしても、人間の骨ってすごいんですね。改めて思いました。

ご心配をお掛けした先輩、スタッフ、事務所の方、本当に済みませんでした。 今後も、事故や怪我には十分気を付けます。 (Jul 26,2010)

・07/10「玉すだれ韓国語バージョン」

昨日は、映画村で玉すだれの仕事でした。

その日最終回の公演で、公演開始のブザーが鳴り舞台へ。 公演の途中で一番前の席に座っているお客さんに「今日はどちらからお見えですか?」と聞くと「韓国」。 見た感じが全くの日本の方で、公演中の私の言葉もちゃんと理解してくれている様子だったので、ちょっとびっくり。 それと同時に、「チャンスかな?」と言う思いが・・。

現在、京都府の助成のもと映画村と幾つかの企業が協力しての、海外に時代劇をPRする為のプロジェクト 「時代劇ルネサンスプロジェクト」のメンバーが映画村内にて作業を行なっています。 アメリカ、フランス、中国、台湾、韓国・・、いろんな国からのスタッフが私達と一緒に仕事をしています。 そんな事もあって、私も去年年末から、自分の公演の助けにならないかと韓国語を勉強しておりました。

先月、「玉すだれ」の韓国語バージョンの台本を作り練習、 韓国からのスタッフに韓国語での玉すだれを実際に見てもらったりしていました。 しかし、なかなか上達せず、舞台上で韓国語を使うチャンスもないままでした。

そして、昨日、いよいよ、その機会がやって来ました。しかし、結構練習をしていたつもりでも、いざとなるとなかなか・・。 「アンニョンハセヨ」は、かろじて口から出て来ましたが、その後がなかなか繋がりません。 その上、メキシコからのお客様もいらっしゃったので、日本語と英語と頼りない韓国語がごちゃ混ぜの玉すだれになりました。

結局、その回の公演は、その後もほとんどを日本語で公演を続け、韓国語としては 「これは、尾長鶏です。」「これは吊り橋です。」などの完成した物の説明をなんとか出来たぐらいで終りました。

情けない結果となってしまいましたが、デビューはデビュー。取り敢えずは、 「韓国語玉すだれ」がスタートしました。 また今日から頑張ります。

海外の言葉が話せて、海外の方とお話ができるって事は本当に楽しい事です。 (Jul 10,2010)

・02/10「至近距離(水戸黄門)」

先日、水戸黄門の撮影でした。久し振りの悪役です。 遊び人の平六は、辻斬りの現場を見てしまうんですね。そのシーンの撮影の時の話です。

緊迫感を出す為か、このシーンの撮影はカメラを三脚に固定せずに、カメラマンがカメラを手に持っての撮影でした。 辻斬りの現場を見てしまった平六のアップの撮影の時、カメラマンがつかつかとやって来たと思うと、 なんと私の顔の前10センチ程の距離でカメラを構えたんです。 10センチですよ。私も長い事、撮影の仕事をやっていますが、さすがにこんな至近距離での撮影は初めてでした。 他の撮影所や、バラエティなどの撮影ではよくある事かも知れませんが、私は初めてでかなり戸惑いました。

どの位の範囲が映ってるんだろう・・。放送が気になります。 (Feb 10,2010)

・01/10「カレーライス(最後の忠臣蔵)」

先日、また松竹さんへ行って参りました。お正月から忠臣蔵の撮影です。 いつもお世話になっている松竹の役者さんやスタッフにお正月の挨拶をして来ました。 それにしても、去年も「新しくなった松竹」へは来た事がありましたが、 演技課の前を通ってエレベータを使って四階のメイク室・衣裳部へ行く事にはまだ少し慣れていません。

午後1時ごろにセット入りをして、討ち入り直前のシーンと討ち入り後の浪士達が列をなして歩いているシーンを撮影しました。

そこで、ちょっと早い夕食時間となりました。いつもなら食券を貰い出前を注文するか撮影所の外まで食べに行くのですが、 この日はなんと「カレーライス」。 スタッフさんが大きな鍋で作ってくれた温かいカレーライスがセットの前で役者とスタッフに配られます。 列に並びホカホカのカレーライスをスタッフさんによそって頂き、外で食べるにはあまりに寒いので控室に持ち込んで頂きました。 冷えた身体にはもう最高の食事でした。

去年の年末にもこの作品の撮影で松竹さんへ来ましたが、その時も撮影終了後に演技課の前へ来るとスタッフさんの優しい声が。 「温かいスープはどうですか?」 嬉しい心遣いじゃありませんか。深夜の撮影で冷え切った身体が温まります。

確かに食券で思い思いに好きな食事をとるのもいいですが、時には関係者全員が同じ釜の飯を食べると言うのも良いですね。 人の温かさを感じます。以前にも、何かの作品のクランクアップの日の撮影終了後、 セットの前に炭火を持って来て焼き肉とビールで乾杯と言う打ち上げに参加させてもらった事がありましたが、 「お金をかけずに、みんなが一緒に食事をする」というこんな温かい雰囲気を大事にする松竹さんが大好きです。

それに、嬉しかった事がもう一つ。もう20年程前になるんですね、 深作組でお世話になった佐藤浩市さんと撮影の時に久し振りにお会いしました。 今でも覚えていてくれているんですね。私を発見して、ニコッと挨拶をしてくれました。 この作品の大成功をお祈りしております。 (Jan 10,2010)