・12/24「復活!?(利休にたずねよ、他)」
12月。毎年正月に東京のニューオータニで行なうイベントの準備やリハーサルで忙しいこの月に、
4本の台本を抱えていました。
劇場用映画「利休にたずねよ」での町人、NHK作品「妻は、くの一」での中間風の男、
新番組「信長のシェフ」でのロレンソ了斎、「科捜研の女 2013」での警官の役です。
どの作品でも、一言、二言の役ではあったものの、
同時期に4本の台本を抱えたと言う事は今までになかった事ではないでしょうか。
今日、「科捜研の女」の撮影を終え、4作品とも無事に終了する事ができました。
この春に、「京都地検の女」の撮影中に頭の中が真っ白になりセリフが出て来なかった結果、
「セリフ恐怖症」になっていた私も、なんとか克服できたような気がします。
「剣客商売」の撮影中に発見した方法、
つまり、空間にイメージのカンニングペーパーを貼るという方法がなんとなく効果があるようです。
この方法で、今回の4作品、問題なく撮影を終える事が出来ました。自信も取り戻す事が出来たような気がします。
今年もあと数日で終りです。ニューオータニの準備などもあり、まだまだ忙しい日が続いていますが、がんばって参ります。
みなさん、来年もどうぞ宜くお願いいたします。
(Dec 24,2012)
・08/10「二カメラ(みおつくし料理帖)」
先日は「みおつくし料理帖」の撮影でした。
私は幇間の役で、私が花魁たちの踊りを屋根の上から盛り上げていると言う芝居を二台のカメラで狙って撮影されました。
最近は二台のカメラを使っての撮影、所謂「ツーカメ」の撮影が増えてきました。
二時間、三時間のスペシャルのドラマ撮影の時には「ツーカメ」での撮影が普通になったようです。
つまり、役者が現場に入ると、先ずそのシーン全体のリハーサル(通称「ドライ」)を行ない、
そのドライをやりながら監督が「カット割り」を決め、その後にドラマに必要なカットを二台のカメラを使ってどんどん撮影していくんです。
役者は同じ芝居を何度も何度も繰り返します。カメラの位置が替わっても、また同じ芝居が繰り返されます。
時には、一台が役者全員が写っている「引き」のカットを撮影しながら、もう一台で主役の「寄り」を撮影したり、
時には、向かい合って会話をしている二人の役者の「寄り」を二台のカメラで同時に撮影したり・・・。
編集されてドラマの作品となる時にはカットされて使われないような部分の芝居も含めて、役者はとにかく同じ芝居を繰り返しているだけですので、
「今撮影しているカットのどの部分が使われるのか」「このカットの狙いが何なのか」が非常に分かり辛いわけです。
だからでしょうか、「自分たちが作品を作っている」と言う感じがしないんです。
以前は、撮影と言えばフィルム撮影で、フィルム撮影だとフィルム代や現像代が掛かると言う事もあって、
作品として使われない部分(編集で切り捨てられてしまう部分)はほとんど撮影されませんでした。
ワンカット、ワンカット、撮影に必要な部分だけを撮影していくわけです。
そして、そのワンカットを撮影する為に、照明部がライティングし直したり、録音部ができるだけ音声を綺麗に録ろうと努力したり、
装飾部が小道具の位置を動かしたり、美術部が背景を直したりするんです。
役者もそのカットの為の立ち位置が決められたり、目線の方向が決められたりします。
「ワンカットをスタッフと役者がみんなで作っているんだ」と言う感覚がありました。
そして、「さっきは、このセリフを撮影したから、後はこのセリフのカットがまだ残っているな」と言うような、
まるでジグゾーパズルを完成させているようなドキドキ感がありました。
ところが、撮影の方法が変わって、そう言う感覚が失くなってしまいました。
役者はとにかく同じ芝居を繰り返すだけで、
現場では監督とカメラマンが二台のカメラを使ってドラマを作る為の素材を集めていく
と言うような撮影に変ってしまいました。
ドラマが現場で作られているのではなくて、編集室で作られているような感じです。
役者もスタッフと一緒にドラマと作っていると言うよりは、役者が単なるドラマを作る為の素材集めの「駒」になってしまった感じです。
寂しいです。
数日前に「京都地検の女」の撮影に行きました。監督は、私が大好きな黒澤監督です。
やっぱりこの時の現場は良かったです。ビデオ撮影ではあるもののカメラは一台で、
監督のイメージするワンカットを撮る為にカメラの場所が決まり、背景が決まり、役者の位置が決まり・・。
ワンカット、ワンカットにある、監督の「狙い」が見えてきます。
ジグソーパズルが完成するように、そのシーンの撮影も終りました。
余談ですが、そのシーンの中に、「京都地方検察庁」という看板の前をまず私が横切りその後に名取裕子さんが横切ると言うカットがありました。
一回目のテストが終った時、監督から私に「フレームの中で、ちらりと腕時計を見てくれ」と言う指示が出ました。
その時私は腕時計をしていなかったので、装飾部さんを呼ぼうとすると、なんと監督が直々に監督ご自身の腕時計を貸してくれたんです。
あまり嬉しい出来事だったので、ついでながらここに書いておきます。
とにかく、今回は「最近では二台のカメラを使って撮影する事が普通になってしまったけど、
私は一台のカメラで、狙いがはっきりしたワンカットワンカットを撮影していくと言う、昔ながらの撮影方法が好きだ」と言うお話でした。
(Aug 10,2012)
・06/06「恐怖症(京都地検の女・波の塔)」
今回の内容は自分の恥を晒す事になるのであまり書きたくはないのですが、
今後このような事がないようにと自分への戒めの為に書いておきます。
五月下旬の話です。京都地検の女の撮影でエキストラでの出演でした。朝、撮影所に着くと助監督さんが演技課の前で発見。
私を見ると近付いて来て一枚の紙を私に手渡します。「?」とその紙を見ると台本のワンシーン。
助監督さんは私に「このセリフをしゃべって!」と。
新聞記者が成増刑事に聞き込みをされているシーンです。
現場で突然セリフを頼まれる、こう言う事はよくある事です。
セリフを見ると 3行あり、普段はまず口にしないような人名が連続して出て来ます。一抹の不安。
昼食も終り、私が喋るシーンの撮影です。不安は的中。どうしても、「熊谷」と「小宮山潔」と言う名前が出て来ません。
やっとこの二つの人名をクリアしたかと思うと、その直後に出て来る「追い込んでいたようです」と言う言葉が出て来ません。
まだまだ終りません。ここをクリアしたかと思うと「抗議の電話」と言う言葉が出て来ません。連鎖です。
NGの連続です。監督にも申し訳なく、私を信頼してセリフをくれた助監督にも申し訳なく、一緒に芝居をしてくれている寺島さんにも申し訳なく、
私のバックで芝居をしてくれている他のエキストラの皆さんにも申し訳なく、じっと我慢をしてくれているスタッフの皆さんにも申し訳なく・・・
20年以上も役者をやっていてたったこれだけのセリフ・・・。自分が腑甲斐なく情無く、ただただ謝るばかりでした。
結局、10回ほどは NGを出し続けたのではないでしょうか。本当に皆さん、すみませんでした。
「恐怖症」です。セリフを喋る事への恐怖症ではなく、「また、頭の中が真っ白になったらどうしよう」と言う恐怖症です。
話を聞く限り、どんな俳優さんでも「頭が真っ白」になる事はあるそうです。つまり、私にもこう言う事はまた何度も起きるでしょう。
ですから、こんな事態に陥った時にどう対処するかと言う、その方法を身に付ける必要があります。
この日から数日後にまた「剣客商売」でセリフを喋ります。その時までに、その方法を見つけなければ・・・。焦ります。
「剣客商売」の撮影の日です。
「もしやすると、何かを察したとも・・・」と言うたったこれだけの短かいセリフです。
午前中の私のシーンの撮影が終り、次に私が出演して喋るシーンの撮影までにはまだ少し時間があります。
何度も何度も繰り返し口に出してセリフを喋り続けます。
そうしている内に、またセリフが出て来なくなってきました。
繰り返し喋っている内に、自分が喋り易いリズムになるようにセリフが変ってきたり、自分が喋り易い言葉に変ってきたりします。
何度口に出しても、「もしやすると、何かを」まで喋ると「察したとも」の替わりに「接していたのかも」と言う言葉が出て来るようになりました。
頭では分かっていても、口からはどうしても違うセリフが出て来ます。撮影まで後少しの時間しかありません。焦ります・・・。
「恐怖症」を克服する為の方法も見つからないまま、撮影になりました。
現場に呼ばれて、本番前のリハーサル中、やはりなかなかスムーズにセリフが出て来ません。
必死で思い出しながら喋ります。なんとか喋りますが、気持ちに全然余裕がありません。
そこで、突然閃いたのは「カンニングペーパーを書く」事です。
私の目の前に、私に背を向けた役者さんが畳の上で寝転がっています。
その人の背中に何度も何度もイメージで「察した」と言う言葉を書きました。
「もしやすると」まで喋った後に、その役者さんの背中を見ると「接した」ではなく「察した」と言う言葉がちゃんと出るようになった気がします。
気持ちも落ち着いて来ました。
この方法が、「頭が真っ白になった時」の解決方法かどうかは分かりませんが、今回はその事で正しいセリフが頭に浮ぶようになりました。
役者はまだまだ続けていたいです。その為にも、この解決方法は必ず見つけます。
今回の事で、スタッフの皆さん、役者の皆さんからの信頼を一気に失ってしました。
またこれから少しづつ積み上げていきます。
(Jun 06,2012)
・02/14「キャップ(刑事魂)」
先日は、テレビのスペシャル番組「刑事魂」の撮影でした。
監督は猪崎宣昭監督で、2008年に「落日燃ゆ」の撮影では私は「日系二世のアメリカ人の通訳」の役で褒めて頂き、
2009年には「柳生武芸帳」という番組で「徳川義直」と言う大きな役を私にくださった監督です。
今回も「刑事魂」と言うドラマでは、正木という新聞記者が登場するのですが、その記者の新聞社のキャップ、つまり正木の上司という立場の役をくださいました。
この役は、台本上では登場しないのですが、正木が仕事をしている場面に必要と言う事で、監督が特別に作られた役で、
しかも、「この役は川鶴に」と監督が直々に推薦してくれたと聞いています。
衣装合わせの日にも、監督とお会いして話をしていると、私がかなり期待されているのが分かります。
あるテレビ番組を録画したDVDを渡されて、「これを見て、記者クラブ内の雰囲気をしっかり勉強して来い」と言われました。
勿論、その夜はその DVDをずっと見ていました。
そして撮影当日。現場に入ると監督からすぐに動きの説明がありました。監督の言葉に、かなり力が入っています。
ヘタを打つわけにはいきません。
一つ目のシーンは、深夜、記者クラブで正木と話をしている短かいシーンでした。
そのシーンが OKになって、「なんとか記者クラブの雰囲気が出たんじゃないかな」と思っていましたが、
監督から「まだまだ勉強が足りない」とダメを出されてしまいました。
その言葉から、どうやら監督の期待に応えられなかった様子を感じました。
落ち込んでいる暇はありません。さぁ、次のシーンです。
二つ目のシーンは、私が部下たちに次々を指令を出しているシーンです。
監督から「このシーンは部屋内を動き回りたいんだ」との演出がありました。
そこで、一回目のテスト。部屋内を動き回って次々に命令を出していきました。
ですが、監督からは「もっと声を出して、みんなを鼓舞するんだよ。お前さんはキャップなんだよ!」と。
そして、二回目のテスト。声を出して、みんなに指示を出していきました。
監督からは「ガチャガチャ、動かない。堂々とするんだ!下手だなぁ」と、きつい言葉。
監督の期待に応えなきゃ。
監督のイメージに少しでも近づけようと、自分の頭の中にイメージを作り、照明さんが準備をしている間も自主トレも行ない、
その後も何度もテストを繰り返し、やっと本番。そして、なんとか OKを貰い、撮影が終りました。
撮影が終って、監督の言葉を思い出しながら考えてみると、「自分の位置の変化」に気付きました。
今までは、時代劇にしろ現代劇にしろ、上司に命令されて動くという役柄が多かったのですが、今回は「キャップ」。
上司として部下に命令を下す立場。
今までの「命令をされる役柄」にあまりにも慣れていてしまって、「命令を下す役柄」のイメージが掴めなかった。
それが原因で、あれ程の回数のテストが必要になったのでしょう。そして、監督の期待を裏切ってしまったのでしょう。
確かに勉強が足りませんでした。悔しいです。
年齢と共に、これから上司の役も増えてくる事でしょう。しっかり勉強します。
猪崎監督、出来ればもう一度チャンスをください。今度こそ、期待を裏切りません。
(Feb 14,2012)