・11/06「やはり主役の方はすごい(子連れ信兵衛)」
今日は「子連れ信兵衛」の撮影で、私としては撮影初日でした。
現場に入ると、まずは監督に挨拶。そして、カメラマン、照明技師、録音技師、スタッフのみなさんに挨拶。
そうそう、同じシーンに出ている方々にも挨拶せねば・・・。
主役の役者さんが現場に来られました。今だ!挨拶に行かねば!
「板前役の川鶴です。よろしくお願いします」と挨拶しますと、その方の第一声に驚きました。
「この前、映画村で監督さんをしてましたね。面白かったですよ」
「???」
今まで、その方のドラマでご一緒させていただいた事は数回ありますが、個人的にお話をした事は一度もありません。
しかも、ロケスタの監督の時の私は現代劇の格好。今日は、かつらを被っています。
すぐにリンクするわけありません。
なのに、「先日、映画村で監督さんしてた人ですよね?」って確認もなく、確信を持って話掛けてくれました。
やはり主役を張ってる方って、すごいですね。一度現場でお会いしただけなのに、エキストラや端役の顔まで覚えていてくれます。
20年以上も前に撮影でご一緒してから、今でもお会いする度に話掛けてくださる方もいらっしゃいます。
この前あった事なんですが、その方とはもう何年もお会いしていないので、
当然私の事は忘れておられるだろうなと挨拶だけしてそのまま通り過ぎようとしたら、
「元気してる?」って声を掛けてくださいました。本当に嬉しい事です。
その位の人の顔を覚える才能と気遣いがなければ、やはり主役にはなれないのでしょうね。
(Nov 06,2015)
・10/20「近江牛ステーキ丼(超高速!参勤交代 リターンズ)」
昨日は「超高速!参勤交代 リターンズ」の撮影の為に滋賀県にロケーションに行ってきました。
午前10時に撮影所を出発して、ロケ現場に着いたらまず食事休憩。そして、午後から私が出ているシーンの撮影の予定でした。
以前に食事をした後に(当たり前なのですが)非常に眠たくなって、頭がボーっとして、
なかなかセリフが出てこなくて下手を打った経験がありますので、それ以来、セリフの2時間前には食事をしない事にしています。
昨日も午後からの撮影で私のセリフもある事から、昼御飯を食べないつもりで弁当を持っていきませんでした。
ロケ現場に到着したら、ケータリング車らしきものが駐車しておりました。スタッフがなにやら食事を作っているようでした。
「ん?今日は昼御飯支給なの?」と不思議に思いましたが、
どうせ昼御飯は食べるつもりがありませんでしたので最初は気にしませんでした。
ところが・・・
近付いてみると、ケータリング車の廻りに立ててある幟に「近江牛丼」の文字。なぬ?近江牛?
ロケーションの昼飯支給の弁当が近江牛?それも、ステーキ丼?
そんな高級な昼飯は食べた事がない。惹かれる。惹かれる。惹かれる・・・。
そうこうしている内に撮影も昼飯休憩に入ったようで、スタッフも役者もみんなが「近江牛丼」の幟の前に列を作ります。
食べたい、食べたい。でも、食べれない・・。
みんなが幸せそうに、近江牛ステーキ丼をかき込んでおりました。
結論?結局、涙を飲む事にしました。俺の近江牛ステーキ丼が〜。
(Oct 20,2015)
・09/24「雑な思考」
最近、人々の思考が単純化して「雑」になってきている気がする。
明日はロケスタの仕事の予定でした。
そして、今現在、ある時代劇の役も頂いていたのですが、「その撮影日が明日」と今朝に決定しました。
そこで、明日のロケスタの仕事は他のメンバーに変更という事になりました。
このような事は日常茶飯事。よくあることです。私も気にしません。
ところが、決定してから2時間後、「明日は雨」という事で撮影も中止になってしまいました。
明日のロケスタの仕事は他のメンバーに既に変更された後。という事で、明日は仕事がないという事になってしまいました。
私の個人的な考えでは、こんな「雑な思考」が増えてきたのは携帯電話の普及が原因だと思っています。
いつでも、どこにいても、誰にでもすぐに簡単に連絡がつきます。
いろんな状況を想定して綿密な計画を立てるという事をせずに、「とりあえずの予定」だけ決めておく。
そして、問題があれば、そこで状況に応じて携帯電話一つで簡単に予定を変更する。
携帯電話一つで簡単に予定を変更されてしまう相手にも、その人なりの生活があり事情があるというのに・・。
この業界に限らず、いろんな所でこの「雑な思考」を感じます。時代の流れがそうなのでしょうね。
進行や手続きを簡単にする為に、スムーズにする為に、細かい面倒な事象を排除する為に、
「こうすれば問題も起きないだろう」という必要以上な安全なルールを作り、そのルールで人を縛る。
便利と危険は、表裏一体。
(Sep 24,2015)
・04/28「マニュアル」
これまでの日記でも、カメラアングルを替えながら同じ芝居を何度々々も
リハーサルと本番を延々と繰り返す「ハリウッド方式」
の撮影について、どうも私には馴染まないと言う事を書いてきた。
数年前には、映画やスペシャルドラマの撮影となると必ずと言ってよい程一般的になった方法だが、
役者の抵抗感が大きい事もあっての事だろうか、その傾向はかなり薄れてきているように感じます。
繰り返しの撮影はするものの、シーン全体を漫然と繰り返すのではなく部分的に繰り返したり、
テストの回数を減らしたりして撮影するようになってきました。
しかし・・・
先日、合戦の撮影があり、数日間行ってきた。
最近では、制作費削減の為に、メインキャスト以外のエキストラをボランティアで募った一般の方で撮影する事が当たり前になってきました。
そのせいもあって、
今回の合戦シーンの撮影でもほとんどの方がボランティアで来られた方でした。
ボランティアの方々に気遣っての事でしょうか、ボランティアのお世話をしてくださるスタッフもかなりの数いらっしゃる上に、
お金を使っていろんな気遣いもしてくれます。
合戦現場にトイレが無い場合には簡易トイレを設置したり、撮影の合間に「お茶は要りませんか?」と配って歩く沢山のスタッフがいらっしゃったり、
寒い時にはスタッフが携帯カイロを配って歩かれていたり・・・一昔前の撮影現場では想像もつかない程の気遣いです。
しかし、その気遣いもマニュアル通りの気遣いであり、昔のようなスタッフの心の気遣いを感じなくなってきました。
例えカイロやお茶がなくっても、
「寒いだろ。すまんなぁ」「このカットが終れば、昼飯や。がんばってや!」
などの何気ない一言で私たちは気合が入るのものです。
まだまだ他のシーンを撮影していて、こちらの撮影はまだまだなのに、
冷たい風が吹きすさぶ丘の上にスタンバイするように促されて、
一時間以上も何の指示もなく震えながらジッと待機していると言う事がこの前もありました。
こんな状況が普通になってきたように思います。
一日、二日と撮影が進む度に、ボランティアをして下さる一般の方がどんどん減ってきているような気がします。
これで、良い作品が取れるのか疑問が残ります。
人と人との結び付きが薄くなり、なんでもマニュアルに沿っての人の扱い。この後、社会はどうなって行くんでしょうか。
(Apr 28,2015)
・02/02「連帯感(映画 海難1890)」
先日、撮影で和歌山県串本まで宿泊ロケに行ってきました。
この作品での私の出演シーンの撮影は、昨年の12月末までにはほとんど終了していましたが、ワンシーンだけ今年の撮影となっていました。
1月28日のお昼の12時にロケバスに乗って撮影所を出発。三重県を縦断して串本へ。
途中で二回のトイレ休憩を入れて、串本のホテルに着いたのが午後5時でした。いや〜、疲れました。
ホテルに着いてびっくり!撮影の出演メンバーがずらりと並んでお出迎えです。
このメンバーは既に1月20日から宿泊ロケに来ているメンバーです。嬉しいお出迎えです。
既に宿泊ロケに参加しているメンバーは、メインのキャストを含め30人程。
(外国人のキャストやスタッフを含めると、かなりの数になります。)
この固定のメンバーが村人の役で、1月20日から2月の頭まで、二週間ずっと一緒に暮し、一緒に食事をして、一緒に撮影する予定です。
私たちが到着したのは、彼等が宿泊を始めてから一週間ちょっと経った頃。
彼等の中には一緒に生活をしている中で、親密感も深まり、連帯感も育ったきたのでしょうね。
私たちがホテルに着いた時も、まるで、村に訪れた客人を村を挙げて迎えていると言った感じの大歓迎ぶりとなったのでしょう。
その日は、ホテルの大きなホールでビュフェ形式の夕食を頂き、「眠れない〜!」と苦しみながら午前1時ごろにやっと眠りに就きました。
翌日は12時にホテルを出発して、ロケ現場へ移動。
撮影現場の海岸は大きな岩がゴツゴツとして、その奥に水平線が見えて、とても気持ちが素敵な場所でした。
串本って良い所ですねぇ。
撮影するシーンは、私たちが小舟に乗って海の上を移動しているシーンです。
少々波が高かったのですが、心配していた船酔いもする事もなく、一時間ちょっとで私のシーンは撮影終了。
バスの乗り込み、暖かいホテルに帰ってきました。
後は、その日の内に京都へ帰ってくるだけです。
ホテルで大浴場で冷えた体を温め、前日と同じホールで夕食を頂き、一息を入れて再びロケバスに乗り込みます。
そうすると、なんと、前日のお出迎えの時よりも人数が増えて、串本にまだ残るメンバーがお見送りをしてくれます。
「またね〜!」「道中気を付けてね〜!」「残りの撮影、がんばってね〜!」。
いろんな声が飛び交う中をロケバスが動き出します。ロケバスが出発しても、ずっと手を振ってくれていました。
長期間の宿泊ロケで、みんなで一緒に暮し、みんなで一緒に苦労して、
みんなの心の中にも「串本村の住人としての連帯感」みたいなものが出来たのでしょうね。
長い長い宿泊ロケの中で、一泊だけして、次の日には京都へ帰って行く私には少し羨しい状況でした。
(Feb 02,2015)