深作欣二監督

・「安部一族」の話

最初に監督と会ったのは『阿部一族』。事務所から方言指導の仕事が来た。
ある日の夕方、事務所の指示どおりにまずは「京都映画」へ行き作品担当の方とお会いしました。 その後、「監督は京都のある宿に泊まっておられる」との事で そこへタクシーで向かいました。

監督とお会いした日に早速「セリフの打ち合わせ」です。 登場人物はほとんど熊本の人間ですから、台本の最初からほとんど全員の全部のセリフを熊本弁に替えていきます。
この作品以前にも「方言指導」の仕事は何度か経験がありましたが、 この深作監督のこだわりには特に嬉しいものがありました。 それまでのどの「方言指導」の仕事の時も、ある程度は「熊本弁」に替えるのですが、 ちょっと難しい言葉になると「全国の人には意味がわからない」という理由で 全国の人が聞いてもわかるような簡単な言葉に替えて、熊本のニュアンスを加える程度になってました。 ところが、監督は違ってました。その作品を見ている人全員が理解しなければならないような特別な部分以外は すべて私の方言を使ってくれたのです。
熊本以外の人がその言葉自体を聞いてもまったく意味がわからないような言葉でも 作品の中でなんとなく意味がつかめるのであればどんな言葉でも使ってくれました。 そして、その言葉には一字一句にまで物凄いこだわりがあります。
ですから、私は一言のセリフについて 10通りほどの「熊本弁」を用意するのです。 助詞のひとつが増えたり または抜けたりするとセリフのニュアンスが違ってくるのです。 そして、その少しづつ違うそれぞれのセリフを監督に提示し、その中で監督が決定します。 「なんしよっとか?」「なんしょっと?」「なんしよると?」「なんばしよっとか。」「なんばしよっと?」 「なんしよっとね。」「なんしよっとな。」「なんちこっばしよっとな。」などなど。 本当に楽しい作業でした。

こんな具合ですから作業には時間もかかります。明け方になり監督は考えながら寝てしまわれました。 一緒に居合わせた脚本家の方と私は寝るわけにもいかず、 台本を読みながら監督が起きられるのを待ったりもしました。

そうこうして、朝なってようやく台本の完成。その日はお別れしました。 これだけの作業をするのです。監督が台本の一字一句こだわられる理由がわかります。 現場でも台本と一字でも違ったことをしゃべると「そうは書いてない !」と 監督から怒られます。

ここで、監督に褒められたことをひとつ。 「このセリフはこの作品での一番最初のセリフですから、 もうちょっと熊本弁の色の濃いセリフがいいですよねぇ。」と 監督に言った時に「お前さんは、台本を読む能力はあるようだなぁ」と言われました。 とても、嬉しかったですね。監督に褒められた数少ない想い出のひとつです。

次にお会いしたのは『阿部一族』の撮影にクランクインしてからでしょう。 現場ではいつも出演者と共にいて熊本弁のしゃべり方を伝えます。 そして、時に現場から監督の「やっほ !」の声。 監督が誰かを呼ぶ時に「やっほ !」と仰います。 『阿部一族』の撮影の後半では「この『やっほ !』は俺を呼んでるな。」と言うような事が わかるようになりました。 監督から現場でもよく「改定稿」が出るんです。 そのたびに呼ばれ熊本弁に直し、そのセリフが印刷されて役者に届くのです。

そういえば、その日の撮影終了後にスタッフルームにて、スタッフと一緒に一斗缶いっぱいの「広島のかき」を 美味しくいただいたのを憶えております。そのかきの美味しかったことも忘れられません。

『阿部一族』の撮影もかなり進み、後は最後のチャンバラのシーンになるとほとんどセリフはありません。 現場からつかず離れずの位置で、監督の「やっほ !」を待っております。 そんな時期に私の結婚式がありました。 結婚式の前日までぎりぎり現場で仕事をして、「結婚式」の日から数日間休みをもらいました。 嬉しいことに深作監督からじきじきに「ご祝儀」をいただいたのです。 今でもこの「ご祝儀袋」は私の宝物です。

そしてクランクアップしました。1ヶ月以上にもわたる長期間の撮影。大変楽しいものになりました。 クランクアップして数日後、出演者はもう東京に戻られた後ですので、スタッフだけで打ち上げがありました。 その場で私もしゃべる機会があり 「皆さん方が 『朝早く』から『朝早く』まで仕事をされている間に結婚してしまいました。」 と話したら 笑いが起きたのを憶えております。

ちなみに、この作品では、私は役者としても出演してます。 といっても、犬と一緒に殿の後を追って既に殉死している侍の役ですが。

・「蒲田行進曲」の話

この『阿部一族』の撮影の後に 監督が舞台の『蒲田行進曲』を演出されることを知ってました。 そこで、『阿部一族』ですっかり監督にほれ込んだ私は 「どんな役でもいいから『蒲田行進曲』を手伝わせてください。」と進言しました。 「いいよ。」との返事。 私の新たなる修行の場がスタートしました。

最初のうちは配役を決めるために 何度も何度も「本読み」です。 次第にいろんな役が決まっていきましたが、ある役が決まってませんでした。 それは「ヤス」をいじめる役です。 その役の候補者が 3名ほどに絞られて、何度も何度も本読みです。 いろんなしゃべり方を勉強して本読みに挑むのですが、なかなか OKにはなりません。 何度その台本を読んでも、そのシーンはとても重要なシーンなのです。誰かがやるべきなのです。 ところが、誰もその役をこなす事ができず、そのシーン自体が別のシーンで置き換えられてしまうことになりました。 本当に悔しかったです。 「ヤス」をいじめることばかりに心奪われて、「ヤス」をいじめる裏の心のうちを理解できていなかったのです。 そのことを監督から聞いて、悔しくて 「監督、もう一度チャンスをください!」と食い下がったのに、 どうしてももう一度そのシーンの本読みはさせてくれませんでした。

完全な作品を作るために「人情」までをも排除するという 「完全な作品を作るということの厳しさ」を学びました。

この舞台では 舞台落ちのシーンある映画のスポンサーの役をもらっていたのですが、 こちらもなんども怒られました。 稽古の途中で「お前さんはなぜこちらを向く。こっちを向くな。」と 怒られたりしました。 酔っぱらったヤスがステージに入ってくる時に「ヤスさんが、入ります。」という時の 言い方や間を何度も考えました。どう演じていいのかわからなかったのです。 そしてある日、この場面で「ヤスさんが・・、入ります。」と言った瞬間に 目の端っこに見える監督が監督の中で OKが出していたを感じ取りました。 「こういうことかぁ・・・、やっとできたのかなぁ ?」と嬉しかったです。

この作品でも 作品作りの厳しさを教えて貰いました。 ちなみに、この作品でもヤスが故郷の熊本人吉に帰る場面の方言指導は私が担当いたしました。

この時期での流行り言葉は「信じない !」でした。 監督の周りではたくさんの方がいろんな役目を持って動いております。 監督はそれらの人たちのことを信頼しつつも、自分自身で確認をしないと気がすまないのです。 衣装にしても音楽にしてもなんにしても、説明だけを聞いても「信じない !・・・見せて !」ということで 必ず自分の目で確認されます。

・「忠臣蔵・四谷怪談」の話

次の作品は『忠臣蔵外伝・四谷怪談』。 監督が京都で作品を取ると聞き 「どんな役でもいいから出演したいなぁ。」と思っていたら 四十七士のひとりの役をもらいました。セリフこそなかったのですが、四十七士のひとりです。 出番はたくさんあります。 ここでも、勉強になりました。特に、セリフがないときの芝居について。

この作品中での エピソード。我等の殿が切腹したとの話を聞いた赤穂城内でのシーン、 たくさんの侍が出演してます。 あるカットのテストが終わった時に(どなたか忘れたが) ある主要なキャストを演じていらっしゃる役者が監督に「今の私の動きどうでした ?」と聞いた時に、 監督は「ご免、見てなかった。」と仰いました。 つまり、このテストのとき監督はエキストラの端の端っこの芝居を見ていたそうです。 ですから、深作組はテストが多いのです。そのテストごとに監督はいろんなところをチェックしているのです。 それほど、細部にこだわる監督でした。

後半での蟹江さんとのチャンバラのシーン。私もチャンバラの手がつき、切られて池に落ちます。 監督がやってきて「お前さん、ちゃんと背中から落ちるんだろうな ?」、 「はい。」と私の返事。とにかく、監督は撮影現場では走り回ります。

チャンバラが済んで、吉良の首を取って引き上げのシーン。侍たちが重々しく歩いていきます。 私は四十七士の一番後ろを歩いております。「重々しく歩く。」ということを考えながら。 テストで歩いていると、(監督は 20メートルほども後方のカメラのところにいらっしゃるため)メガホンを通して 「一番後ろ〜 ! 『重々しく歩く』と『疲れて歩く』は違うぞ〜 !」との声。 「あ、また私が怒られている。」と感じながら、長時間の撮影で私もちょっと疲れていたので 「わかってま〜す !」と大声で返しました。声がちょっとムッとしていたかも。 怒られている言葉であっても、監督からの言葉は本当に嬉しいものでした。 「主役だけでなく私たちの芝居もちゃんと見てくれている」という嬉しさです。 もっともできることなら、怒られる言葉でなく褒められる言葉の方がもっと嬉しいのですが・・・。

あ、そうそう、この映画でも登場する田舎侍の言葉は熊本弁と言うことで私が方言指導をしております。

私が監督のもとで仕事ができたのはこの作品が実質最後。

数年後に、監督が京都にいらしていて一緒に監督を囲んで『蒲田行進曲』のメンバーが集まり食事をしましたが、 その食事も終わり皆が散り散りになる時に監督の所へ挨拶に行きました。 その時に『阿部一族』の方言指導が素晴らしかったと聞きました。 そして、「お前さんは、真面目すぎる。」という言葉を貰いました。 その通りかもしれません。言い換えると「真面目過ぎて、面白みに欠ける」という事でしょう。 監督、がんばります ! (って、がんばっちゃいけないのかなぁ・・・、もっと楽に楽しくやらなきゃならないのかな ?)

・「おもちゃ」の話

数年前に、東映京都で『おもちゃ』を撮影されました。 そこで、スタッフルームに挨拶に行くと、「本読み」のお手伝いができました。 台本を読みます。主要なキャストの方々がいらっしゃいます。 私は何度も経験した本読みです。誰かがト書きを読みます。 一字一句、本に書いてあるように読まないと、また「そうは書いてない !」と怒られます。 その場に居ない役の人のセリフは誰かが代わりに読みます。 最初は普通に読みますが、次は「もっとテンポを上げて・・・」と指示が出ます。 テンポを上げて読むと「テンポを上げるんだけども、芝居はして !」と指示が出ます。 何度も繰り返します。監督は目をつぶって聞いていらっしゃいます。 セリフを聞きながら頭の中で映像を作っていかれているのでしょう。

突然、監督が椅子にふんぞり返るように座ってらしたので、椅子ごと後にこけた事がありました。 もちろん、みんなが心配で駆け寄りました。びっくりした。

監督にいろいろ教えて貰ったおかげで、 私は今でも台本にあるセリフを自分の言いやすいように言い換えてしゃべる事が好きではありません。 一字一句、台本どおりにしゃべりたいのです。それに、ゆっくりしゃべることも好きではないのです。 余計な間(ま)は省いてテンポよく。

そういえば、この本読みの時、私を含めて東映の役者達はよく注意されてました。 それは、しゃべり方が「時代劇」のようになっていることです。すべてをはっきりとしゃべろうとするんです。 監督からは「これは、現代劇だからもっと普通にしゃべれ !」という事でした。 これは、普段から時代劇をやっている私たちには、かなり難しいものでした。

あるシーンの本読み。青春時代のようなシーンです。女性役の方はいらっしゃいましたが、 男性役の人がその時はいらっしゃらなかったので、私が替わりに読むことになりました。 こんなさわやかな感じの役なんて普段からやる事がないので、それらしく青春の感じで本読みをしたら 監督から「気持ち悪い ! 普通に読め !」との事。 でも、私は逆らって、そのまま監督のいう所の気持ちの悪いまま、本読みを続けました。 滅多にない事ですから。

この作品がクランクインして、結局 『おもちゃ』の撮影現場に出る事ができたのは 乱闘シーンの撮影の一日だけでした。残念です。

本当に、深作監督からの想い出はたくさんあります。 今までも「熊本弁」の方言指導をいろんな組で何度となくやってきましたが、 本当に熊本弁らしい熊本弁を使わせてくれた監督は深作監督だけでした。 今まで、ありがとうございました。ゆっくりお休みくださいませ。 (01/18/2003)

・12/11 「バトルロワイアル 試写」

まず、この映画は決してエンターテイメント作品ではないと思います。
ですから、見終わった後 「ああ、面白かった。」という感想はありませんでした。 決して、万人向けの作品ではないでしょう。

小説の「バトルロワイアル」を読んでいませんので、あくまで映画を見終わった後の感想です。

最初に感じたのは、
「深作監督が、またもや世間に挑戦している。」ということです。
挑戦しています。そのエネルギーがあります。それを感じます。
そして、この映画は「賛美の意見」も「批判の意見」も正面から受け止めるでしょう。 その力強さを感じます。

映画の内容ですが、私にはテーマがわかりにくかったです。
予告編を見たりして、映画の最初の数分間は、「社会風刺の映画か」と思っていましてが、 途中からはそうではないように感じました。

ある中学校のクラス 40数人が殺し合いをするのですが、さすがに 40数人の死を映像化していますので、 ストーリーと直接深く関わっていない生徒が死んでいく場面では、 いろんな形の殺し合いを描いたり、いかにしてショッキングな映像を作るかという場面が続き、 ちょっと我に戻ってしてしまいました。
この生徒達が育ってきた背景などを描くとおもしろそうですが、 なにぶんにも人数が多すぎて 2時間では収まらないんでしょうね。

緊張と緩和については、さすが「深作監督」です。

終盤では教師の「キタノ」が死にますが、銃で撃たれたあとに「キタノ」の携帯が鳴ります。 そのとき、「キタノ」は むくりと起き上がります。
「撃たれて死んだようにみせかけて、実は死んでいなかった」というように見せたのでありましょう。
試写を見ていた関係者の中からも笑いが起きておりました。
結局はこのあと「キタノ」も死ぬのですが、私は「キタノ」がむくりと起き上がったときに 「キタノは本当に撃たれており、このあと死ぬ。」ということを感じており、 笑うというよりは「反対感情の同居」に似たものを感じ、「キタノ」の人生・私生活を感じ、寂しかったです。

また、女子の制服についてですが、スカートの下に全員白いスカートのようなものをはいています。 あれは、アクションをして転がってもパンツがはっきりと分からないようにと監督が工夫したのでしょうね。

最初にも書きましたとおり、決して万人向けの映画じゃないでしょう。
拒否反応を示す方もいらっしゃるでしょう。
でも、私には「こんな映画もアリ。」という感じです。

この映画には 年齢制限がついていますが、一般の方がご覧になる分にはぜんぜん平気でしょう。
ショッキングな映像が続きますが、残酷さを追求した作品ではありません。
ただ、「精神」が「狂気」に傾いた人が見たら 「こんな殺し方もあるんだな」と感じて 社会的には よくないのかもしれません。

最終的には、私にとっては「さすが深作監督」ということで、役者としての私に またもや影響を与えてくれました。
深作欣二監督、ありがとうございます。

最後に、私の先輩の「谷口さん」「竜川さん」が出演されておりました。
エンディングロールを見ていて確認できた範囲で言いますと、脚本は深作監督の息子さん「健太さん」でした。
プロデューサーの所にも、「健太さん」の名前がありました。
アクションコーディネーターは、 以前「JAC」に所属されていて個人的にも大変お世話になった「諸鍛治さん」。
助監督はいつも「深作組」でがんばっていらっしゃる「原田さん」。
そして、エンディングロールに「協力 深作組」と書いてあるのには 笑ってしまいました。

最後までこの文章を読んでいただいた皆様へ。
深作監督には大変お世話になっております。
それゆえ、深作監督びいきの文章になってしまいました。
すみません。

深作欣二監督、いつまでもお元気で、撮影をお続けください。 (12/11/2000)