チャン教 in アメリカ

・最初に

2003年 12月 14日から 21日までアメリカにて「チャンバラ教室」を公演して来ました。 東映からのメンバーは 演技者の西村匡生さん松永吉訓さん西村龍弥さんと私、それにマネージャーとして 2人が同行しました。 今回の旅行は仕事以外でのハプニングの連続の旅行となりました。
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・14日

お昼に京都駅にて同行するメンバーが集合して、特急「はるか」に乗って関空へ移動します。 そして、チェックイン。ここで最初のハプニング。
小道具や衣装・かつらなどをもちろん持っていくわけですが、 かつらは持ち物として機内へ持ち込むとして、小道具・衣装を荷物としてカウンターで預けます。 この時、小道具の荷物があまりに大きすぎて、しかも重量制限を越えていました。 「この事は前もって飛行機会社と話は出来ている」とスタッフはカウンターの人と話をするのですが、 なかなか受け付けてもらえません。スタッフの一人が自分の会社へ何度も電話をして確認しております。 私達はカウンターのところから動けません。 追加料金を払えば受け付けてもらえるのですが、その料金はかなり高いとか・・。 かなり長い間カウンターのところで(約 1時間ぐらいかな ?)待って、なんとか話がつきました。 だいぶん時間に余裕を持っての集合だったにもかかわらず、飛行機に乗れたのはぎりぎりでした。 このハプニングは単なる序章でしかありませんでした。

飛行機に乗ってサンフランシスコまで約 8時間です。 最初は飛行機の中ではぐっすり寝て過ごすつもりだったのに、前日よく寝たせいか全く眠れません。 機内で流れる映画を何度も繰り返し見ながら、結局一睡も出来ないままサンフランシスコに到着です。 サンフランシスコから乗り換えてロサンジェルスに向かいます。 一度、小道具類の荷物を受け取り再度カウンターにて荷物を預けます。 ロサンジェルスへ向けての飛行機が出るまで約 2時間。ここでも、問題発生。
メンバーのほとんどは時間内に次の飛行機の搭乗口へ到着できましたが、 小道具(刀)を担当していてくれたメンバーの 2人がなかなか搭乗口へ姿を現しません。 とうとう出発時間になり、その 2人をサンフランシスコに残し私達はロサンジェルスへ。
ロサンジェルスの空港で合流しようと思っておりましたが、 一団の世話役さんの判断で私達は一度ホテルに移動し、そこで 2人を待つことになりました。
アメリカでは私達のほとんどの携帯が使えず、お互いに連絡が取れません。 2時間後にスタッフの一人の携帯が鳴り、2人が無事にロサンジェルスの空港に着いたことがわかるまで 「何か変なことにならなきゃいいけど」と心配をしながら私達はずっとホテルのロビーで待ちました。 その 1時間後、やっとホテルに姿を現した 2人の姿を見て全員がホッとしました。

そして、問題発生。 私達数人の荷物が、泊まる部屋に届けてあるはずなのにありません。 「?」と思いフロントへその事を告げると「ベルボーイへ聞いてくれ」との事。 ベルボーイに聞いてもちゃんと部屋に届けたと・・。 いろいろと話をしているうちに、私達のチェックインの時に泊まる部屋が変更になっていて その事がベルボーイに伝わってなかったんです。 ベルボーイの後をついていくと、全く違う部屋に私達のスーツケースが置いてありました。 初日からハプニングの連続です。
この日は既に夕方。 後は、一度各自の部屋に落ち着いて、東映メンバーだけでホテルのレストランで食事をとりその日は休みました。
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・15日

午前中はロサンジェルスの市庁舎へ挨拶へ。 当初は全員出席ということでしたが、人数制限により西村匡生さんと私だけが行く事になりました。
ここでも、空港並みのチェック。バッグや靴・ベルトをはずし検査されます。 そして、私達も空港にあるあの金属に反応する機械を潜り抜けます。 もちろん私達はかつらをかぶっていますので、かつらの中の金属に反応して「ビーッ !」と音が鳴ります。 かつら以外には金属を持ってないことを検査役の人に確認してもらってやっと OK! さすがアメリカ。セキュリティーにはかなり厳しいですね。
目的の階へ到着すると秘書らしき方がやって来て、私達をある部屋へ案内してくれました。 そこで待っている間に、同行しているスタッフから急遽 「市長と会ったら、何かちょっとパフォーマンスをしてくれ」と頼まれました。 何も用意をしていなかったので、京都から用意していたチャンバラの中から 2人だけでできる部分だけを抜粋し披露する事に決めて軽く手合わせをします。
市長登場。 市長には監督という設定で「Ready ! Action !」と声をかけてもらい (ロサンジェルスの市長にそんな事を頼むなんて なんて私の大胆な事。) その言葉を合図にちょっとしたパフォーマンスを・・。 その後、京都市のスタッフとロサンジェルスの市長さんとの話があり、 ロサンジェルス市庁舎訪問は終了しました。
次は、とある旅行会社のロサンジェルス支部への挨拶。 その事務所はとても素敵なところにあり、 その事務所からあの有名な「HOLLYWOOD」の看板が見えました。 夜は「京都観光 PR」のレセプションが 私達が泊まっているホテルのバンケットルームであり、私たちはチャンバラ教室を公演しました。
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・16日

ロサンジェルスをパレードする日です。
昼前にまず「リトル東京」へ向かいます。 リトル東京よりちょっと離れたところにバスは止められそこから「リトル東京」までは サムライと舞妓と「サムライミッション」の法被(はっぴ)を着たスタッフがパレード。 リトル東京に着いたらお昼ご飯とか食べていらっしゃる方たちがたくさんいらっしゃいました。 ロサンジェルスは暖かくて、みんなが半そでで歩いていたりします。 そこで各自が自由に行動します。
私はファーストフードのお店などに乱入したりして、 ランチを食べていらっしゃる方たちと「ラストサムライ」の話などをして過ごしました。
そこには小さなステージがあったので、ここでもスタッフの要望により急遽、 殺陣田村の一部を披露してリトル東京を去りました。

次は「ハリウッド」。(私は知らなかったけど) 超有名な「チャイニーズシアター」の前でまた自由に行動します。 ここにはいろんな人がいました。 チャイニーズシアターの関係者の中にはトムクルーズのそっくりさんもいるし、 他にもいろんな格好をしている人たちが集まってきます。 怪傑ゾロはいるし、 スパイダーマンマリリンモンローも たくさんのキャラクターの人たちがいました。 そこへ、サムライが乱入。 チャイニーズシアターが「ラストサムライ」を上映していた事もあって サムライに興味を示す方もたくさんいらっしゃいました。 このシアターの前でも軒下三寸借り受けまして、先ほどの殺陣田村を・・。
その後は、ちょっと街中をパレードし、モール街のようなところでしばしの休憩。 そこから見える山の上にはあの超有名な「HOLLYWOOD」の文字が すぐそこにはっきりと見えました。 そこで、京都からきたメンバー全員の記念撮影をした後、またチャイニーズシアターへ戻り、再び殺陣田村。 陽気なロサンジェルスの人たちと楽しい一時を過ごして本日のパレードは終了。
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・17日

ニューヨークへの移動日です。朝は 4時ごろに起きて出発です。 まずは、ロサンジェルスからサンフランシスコへ。そして、「ニューヨーク」へ。
アメリカへ来る時、重量オーバーの荷物の事で空港でかなり時間が掛かってしまったので、 ロサンジェルスに滞在中に大きい旅行用かばんを 2つ買っておいて、 その重量オーバーの大きな荷物を 2つに分けて収納しておきました。これで、ばっちりです。
それでも、やっぱり持ち物検査ではいちいち止められて「これは何だ ?」「何に使う ?」との質問でしたが、 時間的にはそうたいした事はなく通過できました。
朝早くにロサンジェルスを出発してサンフランシスコで乗り換えてニューヨークへ。 時差があるので、ニューヨークに着いた時はもうすっかり夜でした。

ニューヨークの寒さは覚悟していたし、雨が降っていたせいもあってそう寒くは感じませんでした。 バスに乗り込んで、ホテルへ向かいます。 最終日の公演場所の「ヘラルドスクウェア」の下見もかねて バスは「マンハッタン」の真中付近をぐるぐる回って案内をしてくれました。 そこで、世界的にも有名だという「ロックフェラーのクリスマスツリー」も 車内から見ることが出来ました。
さぁ、ホテルへチェックインです。そして、またもやハプニングです。 チェックインで教えてくれた「328号室」へ行ってみるとドアのカギが開きません。 しかも、中から人の声が聞こえます。 ドアをノックすると知らない人が顔を出しました。「Sorry !」と言ってフロントへ・・。 フロントの人は謝ることもなく、なにやらごちゃごちゃ作業をした後、「じゃぁ、931号室へ」と。 そこで、機嫌を無理やり直して「931号室」へ。今度はカギが開きました。 ホッとして中へ入るとそこには、私達のスーツケースのほかに 2つの大きなスーツケースが・・。 しかも、その余分なスーツケースは開けられていて 、 どうやら他の誰かがこの部屋に泊まっていてスーツケースを開けっ放しで街中へ繰り出した後のようでした。 その状況の所へ私達の荷物が新しく届けられたようです。
私達はまたもやクレームを言いにフロントへ・・。 またもや、何も言わずごちゃごちゃと作業をして「次は 1038号室へ」と促しました。 全く、気分が悪い。 今度はさすがにその部屋に落ち着く事が出来ました。 全く、アメリカのホテルはどうなっているんでしょう。 こういうアクシデントは、アメリカでは日常茶飯事の事なのかな ? とにかく、移動日の終了です。
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・18日

この日は予定されていた CBSの生出演は中止になりました。ちょっと、残念です。
昼前に出発して「日本クラブ」へ。そこで、「京都観光 PR」のレセプション。 会場が狭い事は資料を貰っていたので分かっていたのですが、 実際に行くと思いのほか会場が狭くて、チャンバラを少し変更しなければなりませんでした。 具体的には槍を使うスペースがないために、松永さんの槍の手をすべて刀で処理する事になりました。 急遽、また現場でのリハーサル。公演時間にぎりぎりで間に合いました。ふ〜。
それが終わって、その建物の 7階へ。 そこでは偉い方たちの会議が行われているようで、その会議に顔を出し「京都に来てね !」とご挨拶。
その後また 1階の「日本クラブ」へ戻って、先ほどのチャンバラを公演。

公演終了後、ニューヨークの街中をしばらく歩きます。 凄い人の多さです。ロサンジェルスと違ってここではまっすぐ歩けません。 しかも、手が凍るぐらい寒かった。ロックフェラーのツリーのところまでのパレードでした。
私はカメラを持ち歩いていませんでしたので、写真をマネージャーに撮ってもらいました。 さすがにでかいロックフェラーのツリーです。
お堅い感じのチャンバラ教室は今日で終り。 翌日のチャンバラ教室は 屋外ステージでしかも一般のお客様相手のチャンバラ教室。 「お祭り気分」でアメリカの方たちとチャンバラで一緒に楽しむだけです。
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・19日

最終日は一日中屋外ですから、サムライの衣装の上にジャンバーを引っ掛けての出発。
ヘラルドスクウェアへ着くとまだステージをセッティング中。 舞台がつかえる隙間を縫ってリハーサル。 そして、ニューヨークのど真ん中での「チャンバラ教室」の開演です。
寒いけどたくさんのお客様が集まってくださり、大盛り上がり。 たくさんのメディアも来て 取材をしておりました。 1回目と 2回目の公演の間には、 ヘラルドスクウェアの隣にある「Macy's」という世界最大級のデパートへ入り、 お手洗いを借りました。 そこにいらっしゃる買い物客の視線が熱い。 なんたって、ニューヨークのど真ん中の「Macy's」にサムライがやってきたのは初めてのことでしょうから。
2回目の公演も無事終了。 屋外で確かに寒かったのですが、それよりもなにも本当に楽しい一日でした。 お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。 また、いつの日また再びお会いできる事を楽しみにしております。

すべての公演が終わって、ホテルで着替えて帰るための荷物の整理を済ませた後は、待ちに待った自由時間。 アメリカへやって来て初めての自由時間です。
メンバーの数人は「シャネル」だとか「ヴィトン」だとか「バリー」だとかの目的地があるようでした。 私はその辺には全く興味がないので、松永さんの後を付いて行くことにさせてもらいました。 凄い人通りです。油断するとすぐに迷子になってしまいます。 松永さんに付いて行くのに必死でした。
ある程度、個人の目的のショッピングを済ませた頃に、ロックフェラーで東映メンバーが全員集合します。 ロックフェラーのあまりの人の多さに皆迷子。みんなが揃うまでにはかなり時間がかかりました。
集合した後は、ニューヨークの公演でずっと MCを担当してくれたジョセフさんの案内で、 マンハッタンから一度出て、外からマンハッタンの夜景を眺めたり、 シーポートへ行ったり、グランドゼロの今の状況を見たり、 最後にはチャイナタウン・イタリータウンへ連れて行ってもらって、 夕食はそのイタリータウンのお店でイタリア料理でした。 マンハッタンの夜景はジグソーパズルでよく見るあの素晴らしい景色そのもので感動しました。 彼の案内なしでは決して見ることが出来ない景色だったことでしょう。 イタリア料理も最高で、素晴らしい時間を過ごす事が出来ました。 ジョセフ、ありがとう。
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・20日

さぁ、後は日本へ帰るだけ。 朝の 4時にはホテルを出発します。アメリカを出国する時の荷物検査はいとも簡単。 何の問題もなく飛行機に乗れました。問題は機内で過ごす時間。
まずはサンフランシスコまで 8時間。 そして、関空まで 10時間。乗り継ぎの時間を含めると20時間の旅路です。 「20時間もどうやって過ごそう」と心配していたんですが、 前日ほとんど寝ていないせいと、1週間の疲れで飛行機に乗るとぐっすり。 サンフランシスコで一度目を覚まさなきゃならないのが物凄く辛かったけど、 機内ではほとんど寝ていたせいで、あっという間に関空に着きました。
日本に帰って来ました。 京都について思った。ニューヨークより京都のほうが寒かった。 毎日があわただしく、あっという間の 1週間だったために日本に帰ってきても、 「アメリカに行ってきた」という実感がなく、「夢でも見ていたのかな?」という感じでした。
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・アメリカの好きなところ、嫌いなところ

アメリカの嫌いなところ:何をするにも遅い。空港での荷物検査でも何列ものお客さんが待っているのに、 カウンターの人はノンビリと作業をしていく。 これは、空港だけでなく「ディズニー」のお店や街角のコンビニでもそうだった。 待つことが嫌いな私にはこれはとても辛い。
ホテルの設備が悪いし、応対も大雑把。 今回の旅行でも、何度もチェックイン時に問題が起きているし、謝ることもしない。 部屋のセキュリティーボックスが壊れているし、直してくれと言ってもなかなか直してくれない。 他にもエレベータが壊れていたりシャワーが壊れていたり・・。

アメリカの好きなところ:知らないもの同士でも気軽に話をする。 これは、人によっては「なれなれしい」と感じる人もいるらしいが、私は好きです。 ホテルのエレベータで知らない人と合っても「Hi !」と挨拶をするし、 レストランの従業員とお客様同志でも簡単にジョークが言い合える。
それに、今まではチップは過去の古い慣習と考えていたが、チップという習慣もいいものだなと感じた。 人に何かをしてもらったらお礼にチップを渡す。人に感謝するという事の大切さをいつでも意識できる。
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・最後に

今回の公演は楽しかったのは当たり前ですが、それによりも何よりも個人的に非常に勉強になった公演でした。 アメリカやアメリカの人たちの事がほんの少しかも知れないけど分かったし、 自分の英語の実力がどのくらいなのかもはっきり把握できた。
現地で会った人にこう言ってもらった。 「日本人が来て英語でショーをやると言うから、またジャパニーズイングリッシュかと思ったら、 ちゃんとしたアメリカンイングリッシュだったからびっくりした。」と。 この言葉は、私にとって非常に嬉しかった。 それに、通訳という形で今回このミッションに関わっておられたアメリカの方たちにも 「十分に通用する」と太鼓判を押してもらった。 これらの経験は自分の中で大きな自信につながりました。 一回り大きくなったような気がします。この経験はこれからの仕事にきっと生きてくる事でしょう。 今回のミッションに参加できた事を心から嬉しく思っています。

今回お会いできた皆様方、機会があれば是非またお会いいたしましょう。 ありがとうございました。(12/24/2003)
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