江戸時代を勉強したい。

ここでは、映画村のイベント「寺子屋」の中で 私がしゃっべっている事を書いていますが、 もし間違っていたりほかの説を知ってるぞという方は メールや掲示板などで どうぞ教えてくださいませ。

江戸時代の時刻の呼び方を知ってますか?
「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」という十二支を使ってあらわしていました。 「子の刻」(真夜中の 12時)から始まりほぼ 2時間間隔(季節で違う)で、「丑」「寅」・・・と続きます。 ほかにも「六つ時」「七つ時」などの呼び方もありました。 これは、江戸時代には庶民は時計を持っていませんでしたので、 鐘を鳴らして庶民に時刻を知らせていました。 鐘が 6回なれば「六つ時」、7回ならば「七つ時」という言い方をしました。 「日の出(午前 6時頃)」が「明け六つ」、そして「五つ時」「四つ時」と続き、 午後0時なると「九つ時」、その次は「八つ時」・・・となります。
「午前」「午後」ってどんな意味?
お昼の 12時は 「午の刻」と呼ばれました。 ですから、お昼の12時は「正に午の刻」ということで「正午」、 午後 12時より前は「午の刻の前」ということで「午前」、 午後 12時より後は「午の刻の後」ということで「午後」と呼ばれているそうです。
「丑三つ時」って何時のこと?
江戸時代は「一刻(約 2時間)」を 4つに分けて細かい時間を表したそうです。 そこで、「丑の刻(午前 1時頃から 3時頃)」の間も 4つに分けて、 「丑三つ時」とは「丑の刻の3番目」という意味で 現在の午前 2時頃のことだそうです。 (情報源:「広辞苑」)
「おやつ」の意味は?
午後 2時頃が「八つ時」です。 そしてこの時間になると仕事を一休みして お茶を飲んだり物を口にしたりしたことから、 「おやつ」という言葉ができたそうです。
小判を使っていた人はどんな人でしょう?
江戸時代には「三貨制度」といって 「金貨」「銀貨」「銭貨」の 3種類のお金がありました。 「金貨」を使っていたのは上級武士だそうです。 そして商人は取引などに「銀貨」を、庶民は「銭貨」と使い分けていたそうです。 ですから、時代劇で庶民が小判を手にしているシーンがありますが 実際には庶民が小判を目にする事はまずなかったそうです。
1両の 1/4は なんというでしょう?
四角いお金で「一分銀」というのがありますが、1両の 1/4は「一分(いちぶ)」といいます。 そのまた 1/4は 「一朱(いっしゅ)」といいます。
では 1文銭が何枚で1両になる?
1文銭 4000枚で 1両です。つまり、「1両 = 4000文」。 ちなみに 1文銭が 1000枚で「1貫」です。 ただし、時代によって相場は違っていたそうです。
1文銭と 10文銭の間にあったお金は?
「4文銭」というのがありました。 そのおかげで、江戸時代の物の値段は 4の倍数になっているものが多かったそうです。 「二八そば」が 16文だとか・・・
1両って今のお金にしていくらぐらい?
研究者によって意見は異なりますが、だいたい 8万円ぐらいだそうです。
千両箱の重さは何キログラムでしょう?
一口に小判といっても何種類かの小判があり 大きさもまちまちですが、 江戸時代の初期の小判でだいたい18グラムぐらいだそうです。 ですから、小判が千枚入っている千両箱の重さは箱の重さも含めて 20キログラムぐらいでしょう。